中岡毅雄さんの9年前の句集『啓示』の後半Ⅲ・Ⅳ部から、いくつかの句をえらんで鑑賞します。
読者はいきなりこの句と出会って、たじろぐことになります。 手術同意書に署名し十二月 五・七・五の定型リズムを崩さなかった人による、まさかの八・四・五、ちょっと異相の「句またがり」です。癌の手術を受けられたそうです。 笹鳴や四十にして父母に謝し どうということもない平凡作ながら、1句目の〈手術同意書に署名し十二月〉と3句目の〈風花や転移覚悟の手術(オペ)迎ふ〉との間に挟まれているがために、この句は読者の記憶に残ります。 とととととととととと脈アマリリス 世評の高い作品のひとつです。「と」音が10回続くものの、かりに「トト/トト/と・トト/トト/と/脈・アマリリス」と読めば、意外にも五・七・五のリズムで、落ち着いています。句意は不安な心理状態、精神の変調をあらわしているのでしょう。 ふとおもふけふが飯島晴子の忌 闘病中、人の実名を詠み込んだ句が増えてきます。ちなみに飯島晴子さんは自裁されたはず。作者にとって、自己救済の意味をもつ作品なのでしょう。 引き潮のごとく鬱消え額の花 比較になりませんが、わたしも勤めが忙しすぎたときや、早期退職した後、軽度の鬱を自覚した時期がありました。多くの人にとって、共感できる作品かもしれません。季題のもつ華やかさと寂しさが効果的です。 一月の机に遺る眼鏡かな 詞書に「十二月三十日、田中裕明氏逝去、七句」とある七句目です。若い頃から親交のあった句友の死なのでしょう。 花は葉に話したくなし会ひたくなし 初桜、満開の花、余花そして葉桜。どうしてこうも人と会って、話さなくてはならないのだろうか、そんな気分なのでしょう。むろん鬱状態にあっては、なおさらに。 ひとたびは生を彼岸に冬ざくら 句集の帯の表に、この句がしるされています。集中、美の極地です。 幻聴も吾がいのちなり冬の蝶 躁鬱の人から、幻聴のことを聞かされたことがあります。中七からは、作者が詩人であることを強く感じました。 すこし読みすこしねむりぬ春の霜 読者もまた、すこしホッとできる句でしょう。 生きてふるへるはなびらのことごとく ひらがな表記の美しさは、作者の特長の一つです。下五は簡単なようでいて、なかなか、こうは詠めません。 未草(ひつじぐさ)もとのひとりとなりしのみ 未草は睡蓮の別名で、日本古来種をいうそうです。未の刻(午後二時頃)に咲く花の意味ですね。句意は作者にしかわかりませんが、短詩にとって曖昧さも魅力のひとつです。これも姿の美しい句です。 眠剤にしばしあまえて夜の秋 睡眠導入剤に頼ることに罪悪感があるのでしょうか。でも、いまはそんな薬に甘えて眠りにつこうとする、恢復期なのでしょう。 草と草ふれあふところ露の玉 凡句ぎりぎりかもしれませんが、わたしはこういう句が大好きです。評者によって判断の別れる句かもしれません。 いもうとのごとくよりそふ虫時雨 主語が見えないため、句意はあいまいです。親しい女性のことなのか、虫の声に癒されているだけなのか、虫と時雨との関係性なのか。静かな美しい句です。
by tsukinami_819
| 2018-07-22 06:43
| 句集拝読
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Comments(2)
Commented
at 2018-07-22 12:06
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
tsukinami_819 at 2018-07-22 16:39
〉海音さん
別途、メールをさしあげます。詳しくはそちらで。
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