『言葉となればもう古しー加藤楸邨論』拝読(2)

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今井聖著『言葉となればもう古しー加藤楸邨論』の第2章は、「リアルの系譜ー子規から楸邨へ」です。評論10本。
正岡子規の「写生」とは、ただ目に映る風景を写して自己の生をありのまま赤裸々に作品に刻印するものであると高く評価し、一方で、虚子の「花鳥諷詠」が、古典情趣に基づいた本意を尊重し季題中心に描写してその季語自体を目的にしてしまっていると、批判的に論じておられます。
そうして、師である加藤楸邨とその周辺の俳人たち、たとえば、楸邨の師にあたる水原秋櫻子、同時代の山口誓子、弟子である森澄雄や金子兜太、また、おなじく人間探求派と呼ばれた中村草田男や同門の石田波郷といった俳人の句風を論じ、作品を鑑賞しておられます。
2つの評論から引用します。まず『「寒雷」が目指した「リアル」』から。
楸邨が希求したのは、人間が生きている現実の中で、直接、人や事物や事柄から五感で受け取る「息吹」や「体感」である。「わび・さび」などの伝統的な情趣や既存のロマンを抜けたところにある、その時その刹那の「リアル」そのもの。人間の生きる意義とか人生かく在るべしという「教訓」を俳句で述べることではない。むしろ、そういう観念とは対極にある一回性の対象との出会い。つまり、新しい自分との邂逅である。>
私は、伝統的な情趣が嫌いではありません。ただ、俳句は約束事の「情趣」を現実の「実感」で洗いなおす作業から生まれてくるものなのだろうと、日ごろ思っています。没個性のたんなる季題趣味から、詩が生まれることなんてないでしょうから。
もう1本、『楸邨と澄雄』から、引用します。冒頭の3句は、森澄雄さんの作品です。2句目の蜀葵は、ひらがなで書くと「からあふひ」で、立葵の古名。
雪夜にてことばより肌やはらかし
 蜀葵見ゆる距離にて地獄見ゆ
 ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに
 「有季定型」や「見立て」という方法については、古典俳句の伝統をきちんと踏んでいながら、これらの句の文体は例えば「ホトトギス」系の俳人には見られないものである。彼らは虚子のヴァリエーションの範囲の中でしか動けないから、文体の選択肢が狭まってパターンが決まり硬直化してくる。澄雄には定型という土俵の中での文体の自在さがあり、それは『雪櫟(ゆきくぬぎ)』の「字余り句」にその原点を見るのである。音韻を形式の中に押し込めようとする配慮と形式の中にどうしても入りきれない表現との二律背反を前にした葛藤が、定型を柔軟に使いこなす術(すべ)を鍛えたのだ。
この文脈の中でホトトギスの名を出されなくとも・・・とはおもいましたが、澄雄句の「定型という土俵の中での文体の自在さ」には、同感です。定型を柔軟に使いこなしたいですね。
by tsukinami_819 | 2017-12-04 06:00 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)
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