世に「ただごと俳句」なる言葉があります。いま手もとにある角川学芸出版『俳文学大辞典』をひもといてみると、こんなふうに記されています。 〈俳句の日常性を主張するあまり、日常茶飯事のことを詠んで足れりとする傾向に対する軽蔑の語として使われる。〉 どうやら蔑称として用いられる言葉のようですね。子規の唱えた写生、虚子の客観写生や存問、あるいは山本健吉の評論にある挨拶や軽みあたりについて否定的に述べようとするとき、利用するのに便利な言葉なんでしょう。俳句用語としてどなたが最初に使い始められたものかは定かじゃありません。 この語釈文には後段があって、 〈ただし、日常性を否定することは別次元の問題である。〉 と、そんな但し書きで締め括られています。おそらく辞典の執筆者は《日常の出来事しか詠まれていない俳句は「ただごと俳句」として貶められて然るべきながら、日常性にこそ俳句の本質がある》と、そんなふうにおっしゃりたいのでしょう。なにやら禅問答めいてしまいますが、《日常の事物を描きながら、日常性を超えるのが俳句、俳文学である》と、そんな主張がこめられているような気がします。 ここで、そもそも「ただごと」とは何なのかを確認しておきましょう。岩波書店の『広辞苑』をひらいてみると〈徒事・唯事・只事〉という漢字を並べたあと、語の意味と古典での使用例が示されていました。 〈普通のこと。つねのこと。あたりまえのこと。竹取「この頃となりては、―にも侍らざめり。天草本伊曾保「これは―では無いと」〉 また『広辞苑』には、もう一つ別に「徒言」の項が立てられています。 〈ありのままの言葉。別に何ということもない普通の言い方。枕二七八「―にはうるさく思ひつよりて侍りし」〉 いずれにせよ、ふだん理解している程度の意味のようにおもわれます。 さて、ここからが肝心なところです。多くの辞書で、さらにもう一つ別の項が立てられています。「ただごと歌」です。 〈歌学用語としては、『古今集』仮名序に「ただごと歌」とあり、道義的に正しい歌を指したが、後世には比喩を用いない直叙の歌を呼ぶようになった。連俳用語としては、日常的な俗事(只事)、あるいはそれをありのままに表した言葉(只言)をいう。〉 これが『俳文学大辞典』における解説の前段で、後段は次のようになっています。 〈「古今集にざれ歌を誹諧歌と定む、是になぞらへて連歌のただ言を世上誹諧の連歌と云」(三冊子)は一般的な認識だった。またかるみを唱えた晩年の芭蕉には「唯事に一躰新しく、此一味、珍重」(『秋の夜』評語)のように積極的な評価の基準として用いた場合も見える。芭蕉の趣旨を曲解し、惟然のように、口語調のただごと俳諧に走った門人もある。〉 なにやら面倒な説明ですね。つまり、「ただごと歌」とは、もとは《比喩のごとき技巧を弄さない、正しい歌》のことであり、やがて平安末期から中世にいたると《俳諧之連歌、略して俳諧》を指すようになり、さらに時代を下って晩年の芭蕉は《ちょっと新しい俳諧》くらいの意味合いで使ったものらしいのです。 念のため『広辞苑』からも、「徒事歌」の説明を引いておきましょう。 〈譬喩(ひゆ)を借りずに、深い心を平淡に詠じた歌。古今集序で歌の六義(りくぎ)の一とされ、小沢蘆庵が理想とした。〉 余談ですが小沢蘆庵は江戸中期の歌学者です。 こうして歴史的な流れを見れば、現在では「ただごと俳句」の語を誤って使用していることに気づかされます。俳句の本質が《日常のできごとをごくありふれた普通の言い方で表現する》ところにあるとすれば、「ただごと」による俳句が、決して特殊な俳句や軽蔑されるべき俳句として扱われるべきものでないとわかるはずです。 ただし、筆者が推したいのは、誤用されている「ただごと俳句」ではなく、「ただごと歌」に近い「ただごと文学としての俳句」です。よって、次なるテーマとして、文学とはなにか?と云う大きな命題に取り組んでみなければなりません。 当ブログ、ここ数ヶ月ほど執筆・更新の頻度が激しすぎて、内容が劣化している気がします。かんじんの作句がおざなりになってきているようで、昨日も、明石もくせい句会で季重なりに気づかないまま出句してしまいました。 そろそろ、もとのような月1~2回、あるいは週1回程度のペースに戻した方がいいのかもしれません。反省。
by tsukinami_819
| 2017-04-13 12:55
| 論
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Comments(2)
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mariko789 at 2017-04-13 15:05
文章の意味、判りますよ。たいへん勉強になります!
ただ、毎日長文の投稿ではお疲れになってしまうのでは、、と思ってはいました。 隔日とか、週3回の投稿くらいが、長続きするのかもしれません。 ご自分の体力ともご相談なさって決めてはいかがでしょう。
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tsukinami_819 at 2017-04-14 06:11
ただごとの一文、うんざりするほど推敲してしまいました。わかっていただけてなによりです。
更新ペースは落とし、お気楽なものを増やします。今後も、ときどき覗いてやってください。
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