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六四三の俳諧覚書



滝川直広句集『木耳』

季刊俳誌「いぶき」編集長の滝川直広さんが、第一句集「木耳(きくらげ)」を㈱文學の森から今月、上梓されました。
著者略歴によると、一九六七年横須賀生まれ、現在は京都市在住。「いぶき」の今井豊、中岡毅雄両代表とは「藍生」所属による御縁でしょうか。
「あとがき」の中で、著者はこんな自句を紹介しておられます。
 戒厳令ショパンの国のクリスマス
高校一年生のとき「現代文」の冬休みの宿題で作った俳句とか。一九八〇年代前半の東欧ポーランドにおいて、共産党政権と労働組合「連帯」とが鋭く対立し全土に戒厳令が敷かれた、そんな時代を材料にした社会性俳句ですね。広い視座、早熟の才に脱帽するほかありません。その後、社会に出て三十歳代半ばのころ職場環境に変化があったらしく、それを機に「藍生」を主舞台として、本格的に俳句を始められたようです。
    〇
この句集は編年体を採用せず、四つの章で構成されています。中岡毅雄さんが「序」で指摘しておられるように<作者の美意識による>ものでしょう。但し、各章の作品が春夏秋冬の順に並んでいるので、複数年ごとに編集し直した編年体なのかもしれません。
滝川さんの美意識、まっすぐ情感と向き合う姿勢は、個々の作品からも感じとれます。中岡さんが「序」でこう評しておられます。
滝川さんの作風をひとことで言えば、「正攻法の抒情」であろう。滝川さんの俳句は、奇矯で難解な言葉を使わない。それにも関わらず、ある時は勢いよく、ある時はしみじみとした情感を伝えてくる。
では、そのような「正攻法の抒情」の作品を三十句挙げてみましょう。気まぐれで、いくつか短い鑑賞文を付します。
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■第Ⅰ章「牡丹焚火」
 枝垂梅天へ跳ねたる一朶あり
 =「枝垂梅」で春。「朶」は垂れた花の枝や、かたまりをいい、満開の桜の句で「花万朶」などと用いることがある。静かな明るい空が見えてくる。
 胡瓜食む氷河の融ける星にゐて
 =「胡瓜」で夏。句集中もっとも詩情あふれる作品。氷河の融ける星はむろん地球であろう。口にした胡瓜の瑞々しさから、宇宙の天体(地球)への大胆な転移が面白い。作者も胡瓜がお好きなのだろう。
 牡丹に牡丹焚火の灰かへす
 =「牡丹焚火」で冬。この季語は初冬の行事らしく、「牡丹供養」の傍題もある。
 落花つけせり落とさるる魚のかほ
 なかぞらのふくみきれざる飛花落花
 一瓶の香水の値をかたく秘す
 祖国向くをんならの墓みなみかぜ
 きのふより高き耳鳴り雪催
 近づきて幼の豆に打たれやる
■第Ⅱ章「繭ごもる」
 草餅のかわいてゐたる部長席
 =「草餅」で春。句会の場で、草餅の語から亡き母や故郷の思い出を引っ張り出そうとする、いわゆる類想句をよく見かける。ところが、この句には職場の様子が描かれている。席の主は自分の仕事に没頭しているのか、それとも上役の部屋に呼ばれて長時間席を離れたままなのか、部下が置いてくれた草餅に、まだ手をつけていない。
こういう現役の職場俳句は貴重ゆえ、“いまの俳句”として、もっと詠んでいただきたい。
 仕送りのけふでおしまひ鰯雲
 =「鰯雲」で秋。作者は仕送りを受ける側ではなさそうだ。今日でお仕舞とあるからには、送る側であって、やっと肩の荷を降ろせるという親の感慨を詠んだ句なのだろう。中七のユーモアが効果的で、しみじみと半生を振り返っておられる。
 毛氈の厚き明治の雛なる
 亡き母の小言の終る昼寝覚
 刈田道風にくるぶし摑まるる
 下京はあたたかしてふ酸茎売
 風花の触れし願書を投函す
■第Ⅲ章「箱庭の空」
 一辺をテレビに空けてある炬燵
 =「炬燵」で冬。一家団欒の中心にテレビが座るようになったのは、昭和四十年前後から。核家族化が進行し平成の時代を経て、いまやテレビ映像をスマートフォンやタブレットで視聴する、個の時代になった。掲句のような家族形態はやがて姿を消すのだろうか。
 通されて鴨居の低き雛の間
 二三寸ばかりの草に蟬の殻
 失業と思はれてゐる鰯雲
 いま降りしバスに辞儀の子秋夕焼
 ランドセル初弘法の中帰る
■第Ⅳ章「ゼブラゾーン」
 木耳の透けて血管らしきもの
 =「木耳」で夏。梅雨のころ朽ちた木に生える、耳の形をした茸である。クラゲ(海月)と質感が似ているため、キクラゲ(木耳)と呼ぶそうだ。料理の皿の上に盛ったものではなく、散策中に偶然見かけた茸だろう。作者はかがみ込み、手で触れ、じっと見続けている。こいつも生きているのだ、と思いながら。
 デモ隊の母の背中の昼寝の子
 =「昼寝」で夏。何かのデモに若い母親が参加し、しかも幼子を背負っている。六〇年、七〇年安保のころのデモ隊なら、危険すぎてこうはいかない。たとえば、平成時代の反戦・憲法擁護とか、独善的な政権を批判するようなデモかもしれない。若い力への賛歌と読みたい。
 なかぞらに水脈ひいてゐる梅雨の蝶
 殺陣師まづ斬られてみせる草紅葉
 壺中には塩のかたまり冬ざるる
 湖光るうすき蒲団を干す旅館
 三人の寝具隙なき聖夜かな
 雛らにわれより永き未来あり
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# by tsukinami_819 | 2019-07-16 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

祇園祭の吉符入 など

1週間前、京都での写真です。
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祇園祭の初めに、各鉾町で吉符入という神事が行われるそうで、長刀鉾(なぎなたほこ)町会所の2階で行われていたのは稚児舞披露です。
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会所の前だけ、四条通りの商店街の屋根がいったん取り外されています。窓下はカメラマンと通行人とで大混雑。
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横山華山は江戸後期の京都の画家で、昭和に入ってから忘れられた存在になっていました。今回の文化博物館での展示はびっくりするほど充実した内容で、必見です!
文博は三条通と高倉通の交点に建ち、後ろ(北側)に幾つもの店舗を集めた商業ゾーンが併設されているので、ここでお土産の買い物や喫茶・食事を楽しむことも出来ます。
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句会前に、北山の府立植物園を散策。広いので一度では見回れませんでした。森のカフェもあります。
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句会で先生に添削していただいた句。
 ばら園を見回るばらに触れぬまま 六四三

# by tsukinami_819 | 2019-07-13 06:43 | | Trackback | Comments(0)

『句文集 すまし顔』の書評(4)+編集者による裏話

【先に、追記】
出版社「金木犀舎」の編集者サイトで、『句文集 すまし顔』の編集者からみた裏話が公開されています。ちょっと面白いので、読んでみてください。→ ここをクリック。
   〇 〇 〇
拙著『句文集 すまし顔』の書評、第4回。
発行(4月1日)から3ヶ月が経過しました。この間、思っていたほどには書評をもらえませんでした。むろん俳誌それぞれ数ヶ月先まで編集企画が出来上がっているはずなので、簡単に書いてはいただけないものですが・・・。最近の2件、ご覧ください。
   〇
和歌山の俳誌「星雲」(鳥井保和主宰)7月号。
「受贈句集御礼」のページで、句集すまし顔から、5句とりあげてくださっています。
〉 落柿舎の柿を狙うて啼く烏
〉 岩つつじ保津峡渡る風の筋
〉 ぬた場てふ禍々しくも鹿の跡
〉 貝寄風や我楽多市の錆庖丁
〉 鵜づかひの烏帽子の下のけもの貌

主に吟行詠の句を選んでくださったようです。ありがとうございます。
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次に、かつて句会でお世話になった先生から、丁重なるお手紙。
私信ゆえ、端折って引用します。
〉ご家族への愛情やふところ深き詩心、美学、俳諧味と、沢山学ばして頂きました。
〉 黄落の真中に黄なるスポーツ車
〉 駅の子を迎へにはしる大晦日
〉 沈みたるものに色ある春の川
〉 謗らるることにも馴れて浮いて来い
〉心ひかれるお句、まだまだありました。
〉文集はとてもとっつき易く読みやすく、人物を身近に引き寄せて理解すること、学ぶこと山盛りです。
〉どこの頁からでも読め、特に「無名の俳句」「秀句鑑賞」は勉強になりました。

先生、褒め過ぎです! でも、励みになります。俳文集中、この「無名の俳句」が意外にも好評のようです。タイトルのお蔭かもしれません。
先生の選ばれた句を眺めていて、句会の場における先生の選句基準というか、相手に応じた選句の幅の広さを思い出しました。ありがとうございました。
   〇
欲をかくようだけれど、この先もう少し、書評が出ないものか。

# by tsukinami_819 | 2019-07-09 06:43 | 著書・寄稿 | Trackback | Comments(2)

総合俳誌拾読「俳句界」2019年7月号

文學の森「俳句界」7月号の特集は『大特集 森澄雄』です。
略年譜をみて、ああ生誕百周年なのかと納得しました。平成27年には『全集』が刊行されているそうです。
森澄雄さんに関しては、以前、5句の『秀句鑑賞』を書くため調べてみたことがあります。戦争の時ボルネオで死線をさまよったこと、戦後九州から上京し高校教諭になったこと、楸邨門下で「寒雷」編集長を務めたあと「杉」を創刊主宰したこと、吟行で近江通いを続けたこと、63歳で脳梗塞を発症したこと、その6年後に夫人に先立たれたことなど、一応は存じていました。夫人逝去の年で、句集は全15冊のうちまだ半分なのですね。その後の20年間に8冊の句集を上梓しておられます。
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とまあ、略歴は承知していたものの、その俳論つまり俳句に対する基本的な姿勢や考え方は、ほとんど知らないままです。飯田龍太と並び称される俳人でしたが、龍太と違ったのは「虚」を尊重された点のようですね。
主宰誌から名言を引用します。
自分で添削する力-それができるかできないかが俳句の一番大事なところ(「杉」昭和57年3月号)
何かツボを心得ておけば、ちっとも感動がなくても一応の俳句になる-そんな俳句が多く、一句の中に「私が作った」という「私」の刻印がない俳句が多いですね。(「杉」昭和58年7月号)
澄雄さんはわたしの住む兵庫県姫路市のお生まれで、5歳のとき九州へ転居されました。だから、出身地の姫路には「杉」会員がたくさんおられました。
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森潮「杉」現主宰による「百句」抄出から、『秀句鑑賞』で取り上げなかった句を10句引いてみます。気品とともに、ほのかな色気を感じます。
 冬の日の海に没る音をきかんとす 森澄雄
 雪夜にてことばより肌やはらかし
 田を植ゑて空も近江の水ぐもり
 炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島
 最澄の山餅啣へたる犬に逢ふ
 観音の腰のあたりに春蚊出づ
 おのが息おのれに聞え冬山椒
 はるかまで旅してゐたり昼寝覚
 聞きほれて二度目はあはれ手毬唄
 妻亡くて道に出てをり春の暮
   ○
【追記】今日(第1土曜)は京都「玉梓」の句会。前泊して、ホテル内の朝食に行くと一番乗りでした。バイキング料理の種類は多いものの、パンや卵の数から推測して、宿泊客は6人程度みたい。何度も泊まっているホテルだけれど、大丈夫か、ここ。
【追記2】夜、腹痛予防で飲んだ整腸剤の影響なのか、京都駅前で帰りの高速バスを待っている間に頭がふらつくようになり、コンビニの店員さんに頼んで、救急車を呼んでもらいました。京都にて1泊追加の見込み。
【追記3】さらに、翌日の日曜。今日は神戸三宮で「いぶき」の句会があったのですが、やむなく欠席。じつは、電車にも高速バスにも乗れず、車椅子で移動し、今夜も京都泊りの見込み。
どうもヘンなブログと相成りました。
【追記4】本日、月曜。新幹線を利用し付き添いにも助けられ、ようやく自宅に帰着しました。ほっ。

# by tsukinami_819 | 2019-07-06 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(2)

総合俳誌拾読「俳句」2019年7月号

角川「俳句」7月号の第1特集は『夏の季語入門』です。
季語の本意をめぐる雑学のあたり、興味深く読みました。たとえば、高橋将夫さんが「端居」について、こう書いておられます。
〉 端居してただ居る父の恐ろしき 高野素十
「端居してただ居る父の寡黙かな」と詠むと、「寡黙」は本意と重複。そこを「怖ろしき」と詠んで成功したのが高野作品。
 また、西村麒麟さんは「燕の子」で、こんなふうにおっしゃっています。
〉 蜻蛉を翅ごと呑めり燕の子 沢木欣一
可愛いものを可愛いとばかり詠むだけでは物足りない。沢木欣一の〈蜻蛉を翅ごと呑めり燕の子〉は餌の姿を隠さずに詠んだところに意外性がある。
季語の本意を確認したうえで、その本意をどう活かすか、あるいは、裏切ってどのくらい俳句の世界を拡げてゆくか。
ところで、作句ワンポイントのページで、櫂未知子さんがこう書いておられます。
たとえば、次のような句があったとする。
 櫛の歯のいささか欠けて夏の夜
別に悪い句ではない。しかし、「夏の夜」は「なつのよ」と読むべきであり、下五に「なつのよる」と置くべきではない。
はて? この御説はどこから生まれた捉え方でしょうか。虚子が編んだ歳時記でそう解説されていたから、というような根拠(未確認。)があるのでしょうか。なぜ、ナツノヨルと読んじゃいけないのでしょうね。何があるのかな。歴史ある「季の詞」だから?
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第2特集は『大牧広 人生と作品』です。
 もう母を擲たなくなりし父の夏 大牧広
 ラストシーンならこの町この枯木
 夏景色とはB29を仰ぎし景
 吾の無き書斎思へば春夕焼
 夏ひえびえいくさの好きな人が居て
 としよりを演じてゐぬか花筵
この作風からすると、あまり器用じゃなかったのかもしれませんね。でも、市井人としての矜持がおありだったようです。
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もう一つ、『俳句と虚構-文学としての俳句-』はシンポジウムの記録です。虚構については、拙著でも書いたことがあるので、たいへん面白く拝読しました。
ただし、「虚構」という用語の定義について、出席者のあいだで共通認識できず、うまく議論が噛み合わなかったようです。多くの俳人が、あまりに「虚構」をタブー視しすぎています。
そもそも文学・芸術は「虚構」をとおして「実感」さらには物事の「本質」を表現する文化装置であるはずなのに。

# by tsukinami_819 | 2019-07-02 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

総合俳誌拾読「俳句四季」2019年7月号、ついでに映画のこと

今号では「俳句四季」の大賞、特別賞、新人賞が発表されています。
大賞は、宇多喜代子さんの第8句集『森へ』で、その実績、多方面でのご活躍からみても異論のないところでしょう。いずれきちんと作品鑑賞したいとおもっています。
特別賞は東京四季出版から刊行された書籍が対象らしく、大久保白村さんの『花の暦は日々新た』という2冊の句文集、新人賞は30句応募作から選出された、吉田篤子さんの『鏡の中』でした。新人賞受賞作から3句だけ。
 蟻一匹這ふ音のある畳かな 吉田篤子
 大巖となるやいなづま浴びるたび
 身を入れて湯ざめはじまる鏡かな
   〇
それから「句のある風景」という、ご当地写真と短文付きのページ。
市野惠子さんは、たしか「玉梓」(名村早智子主宰)の創刊同人のお一人です。
  「緑立つ」  市野惠子
 柏手をおほきく打つて朝桜
 行く限り賀茂街道の花堤
 賀茂川の川面を擦つてつばくらめ
 号外に見入る元号緑立つ
 叡山はうす紫に春夕焼
京都の出町柳の北側、賀茂川(鴨川上流)右岸(=西側)堤防上で、上賀茂神社近くの御薗橋から下鴨神社の南の葵橋あたりまでの道を「賀茂街道」と呼ぶそうです。葵祭のとき行列が通るルートの最後のほうにあたります。
こういう句は、やはり何度も現場に立って風景に馴染み、松や欅や桜やもみじを自分の目であじわい、顔を上げて遠く比叡山の山並みを望み、そこで幾つもの句を詠んでこられた俳人でなければ得られない作品でしょう。吟行詠の強みを感じます。
つばくらめの句。夕刻、カモが鴨川の水面を文字どおり擦りながら飛び立つ姿を目撃したことがあります。まるで川堤に腰掛けている若い男女たちに雄姿を見せつけているかのようでした。つばめやカラスも真似をするんでしょうね。
号外の句。他と異なる傾向の作ですが、新元号「令和」をテーマに詠まれたであろう、たくさんの句の中で良い出来だとおもいます。季語が効いています。
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ついでに、別の話題。ここからは、映画に興味のある方のみ、お読みください。
   〇
映画『新聞記者』を観てきました。日本には珍しく政治と情報社会をテーマにした本格的な社会派、硬派の作品でした。
政権内にあって情報操作を担当する「内閣情報調査室」の活動(おそらくは実態)と、視聴率・販売部数競争に明け暮れてすぐ暴露ネタにとびつくマス・メディア、それから、”炎上”や”イイネ”の数を目的にして容易に偽情報に取り込まれてしまうSNSのような個人情報の氾濫。たしかに、これが日本の政治、社会の現状なのでしょう。
この製作、出演に関わった皆さんの勇気に、拍手を送ります。ただ、エンターテインメントとして、映画のラストはもう少し工夫があってもよかったのではないかな。

# by tsukinami_819 | 2019-06-29 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

作品8句『酒一壺』~「俳句四季」2019年7月号

東京四季出版「俳句四季」7月号、作品8句のページから。

  『酒一壺』   国光六四三
 跡継ぎの手入れおほきな松の花
 捨畑の隅に樒の花盛ん
 ひと恋ふるあやふさ源平桃の花
 衰へし椿落つるも落ちざるも
 薬缶おく三畳敷の花筵
 酒一壺我が身にまとふ花の影
 テーブルの傷なぞりゐる花疲れ
 夜桜の篝の消えて鬼の闇

いずれも春の花の句。
愚の骨頂、蛇足であることを承知の上で、ブログらしく饒舌に、自句解らしきものを書いてみます。
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第1句-
松の花は雌雄同株。古くは百年に一度しか咲かないと考えられ、そんな花が今年も咲いているというので、長寿を祝う歌に詠まれたとか。
第2句-
樒の花は仏花用。かたまって咲く黄白の花は意外なほど可憐で妖しい。村内に空き家、廃屋が増えて、放棄田や捨て畑も珍しくなくなった。
第3句-
神戸の生田神社で、源平桃の花を見かけた。不思議なことに一本の木に紅白の花が混ざり合って咲く。その前で、男女が写真を撮っていた。
第4句-
椿の花ははらはら散らず、全体がまとまって落ちる。山頭火も「笠へぽつとり椿だつた」と詠んだ。ところが、枯れたまま落ちない花もある。
第5句-
京都の夕べ。小川の上に個人が設えたらしい小さな川床(ゆか)で、花見の準備が進んでいた。デンッと薬缶だけが先に置いてあった。
第6句-
唐の李白に「月下独酌」と題する五言古詩がある。独りで酒壺を抱えて花見をしていたら、月と影と自分とで三人になったと詠う。
第7句-
京都の百万遍、京大北門前に「進々堂」という老舗の喫茶店がある。店内には作業台みたいな大きな木製のテーブルが置かれている。
第8句-
じつは原句をつくったとき「花篝」という便利な季語のあることを忘れていた。下五にあれこれ言葉を措いてみて、やっと「鬼の闇」を得た。
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# by tsukinami_819 | 2019-06-25 06:43 | 著書・寄稿 | Trackback | Comments(0)

圓光寺 青もみぢ

夏の京都観光といえば、7月の祇園祭がメインですね。5月は葵祭でしょうが、ならば6月はなにか?
JRや私鉄、地下鉄のポスターを見ると「青もみじ」みたいですね。季語にすると「若楓」「青楓」かな。
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左京区一乗寺下り松のあたり、圓光寺なんて、知る人ぞ知る「青もみじ」の穴場かもしれません。額縁に入った水彩画のように見える庭が絶品です!
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近くに曼殊院や詩仙堂、それから蕪村さんの墓のある金福寺もあります。でも、暑いとそんなに歩けませんね。
次の写真は翌日、南へ下って山科の随心院門跡です。
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ここも本堂前の庭が美しいですよ。
史実ははっきりしないものの、小野小町さんが晩年を過ごした処らしく、観光のイチオシも小町さんですね。
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地下鉄東西線の小野駅を間にはさんで、西へ歩くと勧修寺があります。
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境内の大きな池は山を背景にして野趣に富んでいます。残念なことに、本堂の屋根が著しく損傷していました。
そして今年も、夕刻早くに鴨川納涼床で贅沢な時を過ごしました。但し、ビール1杯でまたも気を失いかけましたが。
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畑や庭の雑草と格闘しなきゃいけないのに、果たしてこの夏を乗りきれるでしょうか。

# by tsukinami_819 | 2019-06-22 06:43 | | Trackback | Comments(0)

初夏の好古園

姫路城の西側、「好古園」へ久しぶりに行ってきました。
ただただ緑がいっぱい。入園するとき、観光客(多くは白人グループ)がなんともいえない顔つきで、無力感を漂わせながら、出て来られるのと出会いました。区画割りが細かくて、ちょっと不自然な日本庭園ですからね。
写真を8枚ほどアップします。句はありません。
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園内の風景や草花を切り絵で描いた「剪画展」は今月28日まで開催中。
# by tsukinami_819 | 2019-06-19 06:43 | | Trackback | Comments(0)

総合俳誌拾読「俳句αあるふぁ」2019年夏号

判型変更後、じっくり読める文章が増えてきました。第1特集は「俳句と仏教」です。
故飯田龍太の父蛇笏に関するエッセイなんて、よくぞこれを選び出してくださったと思うくらい、山廬ファンにとってたまらなく面白い内容です。率直な筆遣いといえばよいのか。そのあと、市堀玉宗さんの文章も良寛、山頭火、放哉、句仏、宗淵などの俳句と仏教との関わりを論じて、興味深く読ませます。
戦後生まれで25歳の若さで亡くなった住宅(すみたく)顕信という僧侶の自由律俳句は、研究に値するようです。偶然ですが、この青年をモデルにした映画が公開中だとか。かなりマニアックな人間ドラマのようです。
「季語を考える」シリーズ第4回は、小川軽舟、小林貴子、堀田季何、横澤放川といった論客の皆さんが、それぞれに季語とのスタンスの違いを示されていて、興味深い内容です。
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そして「自選200句で読む 黒田杏子の俳句世界」ですが、ここで紹介されている句は、これからゆっくり読み直すつもり。
神戸三宮で句会に参加している「いぶき」が、黒田杏子さんの結社「藍生」の系列誌ですから、なんとか、この先生の俳句を理解しておきたいのですが。
200句の中から、比較的易しい、好みの句をいくつか挙げておきます。
『木の椅子』から
 休診の父と来てをり崩れ簗 黒田杏子
 暗室の男のために秋刀魚焼く
 磨崖仏おほむらさきを放ちけり

『水の扉』から
 ふぐ鍋や壁に大きなジョン・レノン
『一木一草』から
 ガンジスに身を沈めたる初日かな
 着ぶくれてよその子どもにぶつかりぬ
 花に問へ奥千本の花に問へ

『花下草上』から
 飛ぶやうに秋の遍路のきたりけり
 みちのくの雲に触れゆく解夏の僧
 日没ののちの八重山上布かな
 漕ぎいづる螢散華のただ中に
 山櫻訣るるはまた逢はむため

『日光月光』から
 日光月光すずしさの杖いつぽん
 山姥と夏蚕のかほと相似たり
 ほたる待つ還らぬひとを待つやうに
 いつかふたりいづれひとりで見る櫻

『銀河山河』から
 本当は自分が怖い雪をんな

# by tsukinami_819 | 2019-06-16 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

あじさゐ、じやがいも、アンリ

前回と前々回の記事で、あらためて季語の曖昧さが気になりました。
まず、紫陽花の花。あじさゐ。
気象ニュースの話題コーナーで、「紫陽花」の別名として「七変化」「手鞠花」がよく取り上げられます。季語に「四葩(よひら)」なんて異名もあるくらいで、花弁に見える4枚の萼からなる小さな花の集合体ゆえ、「てまり花」とは良いネーミングです。
ところが、歳時記で「てまりばな」を引くと「繍毬花」「手毬花」「手鞠花」という漢字があらわれて、大きな手鞠の形をした「おほでまりの花」とのこと。5弁の小さな花を集めた白い花ですね。広辞苑の「手鞠花」も「オオデマリ」説。
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(写真は記事と関係ありません。)
次に、馬鈴薯。じゃがいも。
歳時記によると、「馬鈴薯植う」は春の季語、「馬鈴薯の花」は夏、「馬鈴薯」は秋。うん? 薯(いも)は秋ですか。
参考までに、我が家(=近畿地方、兵庫県南西部)のちっぽけな畑からレポートしましょう。
例年3月10日前後に、2つ(ないし4つ)に割った種いもを植え付けます。そのとき黒マルチ(=保温・保湿や防虫・防獣に効果のある黒色ビニールシート)を畝の上から被せます。そうして収穫は、3か月余り後の6月中下旬です。ちなみに今年は、大きな薯は要らないと考え、すでに6月9日に掘り出しました。品種は、定番のメークインと男爵で、まれにキタアカリも。
「馬鈴薯」「じゃがいも」が秋の季節なんて、うちの畑ではありえません。もちろん大産地である北海道なら、4月下旬の植え付け~8月・9月の収穫・流通かもしれません。農事に関する季語は、いったいどの地方を基準にしたものでしょうか。
ちなみに「新馬鈴薯」「新じゃが」は夏の季語。ということは、当地でじゃがいもの収穫を俳句に詠もうとすると、いつも「新じゃが堀り」なの?
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余談。過日、ご無沙汰している俳句の最初の先生から、『句文集 すまし顔』上梓を祝う手紙と、アンリ・シャルパンティエの洋菓子を頂戴しました。
仕事の段取りでも、俳句でも、スポーツでも、芸事でも同じだと思うのですが、最初に教えていただいた先生とか先輩とか、そういう人から受けた影響の大きさは計り知れません。選句眼だって、間違いなく、あの先生の句会で培われたものなのです。
・・・お中元でお返しすれば、よいかなあ。

# by tsukinami_819 | 2019-06-13 06:43 | | Trackback | Comments(0)

『高濱虚子 並に周囲の作者達』を読む

講談社文芸文庫に、水原秋櫻子著『高濱虚子 並に周囲の作者達』が、今年2月から加わりました。帯の宣伝文は「小説以上に生き生きと描く、自伝的回想記。」です。
この本、もとは、昭和27年(1952)に文藝春秋社から出版されたものだそうです。筆の運びようから見て、たぶん書き下ろしじゃなくて雑誌連載物だろうと思うのですが、発表の経緯については執筆時期を含めて、秋尾敏氏の「解説」で触れられていないため、わかりません。
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内容は、「ホトトギス」入会から退会に到るまでの、秋櫻子自身の行動および考え方を回想記風に綴ったもの。あるとき誰に会って、どんな話をしたか、ついでに何を食べたか、天候はどうだったかまで、詳細かつ具体的に描かれています。回想・随想というより、どちらかというと、自伝小説と呼ぶべきものでしょうね。
本のタイトルは『高濱虚子・・・』ですが、虚子の考え方や行動(「ホトトギス」の経営方針や「客観写生」「花鳥諷詠」による指導法)の解読よりも、虚子に憧れて接近しやがて離反する秋櫻子の立場と、彼らの周辺にいた虚子門とりわけ東大俳句会の人々との交際を生き生きと描いた、一種の群像劇でしょう。
俳壇史上の価値は、むろん高いと思われます。たとえば、秋櫻子の第1句集『葛飾』に対して、虚子が「たったあれだけのものかと思いました」と言い放ったという有名なセリフも、この本の中で秋櫻子が自ら書きのこしたものだったのですね。初めて知りました。たしかに、ちょっと芝居がかったセリフですよね。
他にも引用したい箇所はいっぱいあるのですが、また、別の機会にします。
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巻末の秋櫻子略年譜から、ごく一部分を抜粋。
1986(M19) 東京に生まれる。
1911(M44) 第一高等学校第三部(医学)入学。
1914(T3) 東京帝国大学医学部入学。在学中、俳句に目覚め「ホトトギス」を購読する。
1919(T8) 血清化学教室へ入る。同期に高野素十。結婚。「渋柿」で松根東洋城の指導を受ける。「ホトトギス」雑詠に初入選。
1920(T9) 窪田空穂に就いて短歌を学ぶ。
1922(T11) 東大俳句会を再興し、ホトトギス発行所で句会を開く。「破魔弓」同人。
1924(T13) 産婦人科教室へ移る。「ホトトギス」雑詠で初巻頭。
1928(S3) 昭和医専の初代教授となる。自宅を新築し開院。「破魔弓」を「馬醉木」と改題。
1929(S4) 「ホトトギス」同人。
1930(S5) 第1句集『葛飾』刊。
1931(S6) 「馬醉木」に「自然の真と文芸上の真」を発表し「ホトトギス」を退会。

# by tsukinami_819 | 2019-06-10 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

6月の「いぶき」句会

先の日曜「いぶき」の神戸句会でした。
出席21名、欠席投句4名。初参加が2名あって、うちお一人は「リアルの句会は2度目です」とおっしゃる青年でした。嬉しいなあ、若い人が来られると。
5句出句して、互選で珍しく全句に点が入りました。といっても、2点以下ですが。
 堀りたての筍もらひ物なれど 六四三
 背を伸ばし人待つ夏のネクタイよ
 行けど行けど代田へ水の音猛る
1句目に選者の添削が入っています。原句は「もらひ物だけど」と口語会話体。
2句目は紳士服売り場みたいですが、喫茶店で顧客の到着を待っている、マンション不動産の営業マンを詠んだもの。
3句目の「行けど行けど」は、農道を散歩中だったから。
まあ、凡句。
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もうすぐ梅雨ですね。例によって句会前、三宮の東遊園地を独り吟行していて、こんな句碑を見つけました。地面の石板なので、句碑と呼んでよいのかどうか。
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踏みつけて構わない句碑はユニーク。水を張った石彫の鉢(『虹の石』という作品名のようです。)が主役なのでしょうか?
 虹の足とは不確に美しき 後藤比奈夫
「正確に」かと思ったら「不確に」でした。佳い句です。

# by tsukinami_819 | 2019-06-07 06:43 | | Trackback | Comments(0)

総合俳誌拾読「俳句界」2019年6月号

特集は『俳句と食文化』です。
復本一郎、藤田真一、中尾公彦、小西昭夫、安立公彦、田山康子の各氏が、食に関する俳句について論評しておられます。
お選びの句の中から1句ずつ挙げてみましょう。一部を新字体に改めています。
 酒のめばいとど寝られね夜の雪 松尾芭蕉
 客僧の狸寝入やくすり喰 与謝蕪村
 赤椀に龍も出さうなそば湯哉 小林一茶
 一匙のアイスクリムや蘇る 正岡子規
 草まくら旅にしありて雑煮ばし 久保田万太郎
 土用鰻息子を呼んで食はせけり 草間時彦
名の残っている人の作品は、いつまでも古びないものですね。明治時代にもう、氷菓じゃなくてアイスクリムって、呼んでいたんですね。
そのあと、現代俳人が自作8句を発表しておられます。また1句のみ。
 蒸鰈ほぐして雪を聞きゐたり 増成栗人
 派出所の皿の草餅暮れ残る 鈴木明
 にんげんに指を折る癖衣被 塩野谷仁
 氷菓食ぶアドリア海の青を載せ 宮谷昌代
 席ひとつ足して寄鍋はじめけり 伊藤眠
 諦めはつかずセロリの筋をとる 高倉和子
 カステラに活断層や寒旱 尾崎人魚
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もう一つの特集は『俳句の魅力』です。俳句以外の本業のほうで有名な方々のエッセイ。独学で句作りをしておられるらしい、作家西村賢太さんの文章が出色です。
〉従ってこの遊びに、他人の評価は一切不要である。句会に出る気もないし、誰かの指導を仰ぐつもりも全くない。
〉その類の世界には、添削よろしくこの語をこっちに持ってきてこれを取り、季語を頭にしてどうたらこうたらなぞ云う、妙なしたり顔でもって個人の恣意的でくだらぬ言語体裁を押しつけてくる“自称俳人”たちの跋扈しているイメージがある。バカの見本のような人種である。本来、こう云う手合いは創作とは無縁の衆生だから、到底まともに相手はできぬ。

いやはや、恐れ入ります。
自称俳人たちの跋扈、バカの見本のような人種、創作とは無縁の衆生・・・そう、きましたか。第二芸術論どころじゃないですね。見ようによっては、正直な感想か。

# by tsukinami_819 | 2019-06-04 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

『句文集 すまし顔』の書評(3)

拙著『句文集 すまし顔』の書評、第3回。
伝統ある結社「ひいらぎ」(小路智壽子主宰)の俳誌6月号中、連載「名著トレッキング」という書評ページで、平田青雲氏が拙著を句集として取り上げてくださいました。
ありがとうございます。
全体に関する講評。
この句文集はこのような句集の後に、十編の俳文(おおむね昭和の俳句をめぐる評論)があるが、厖大な力作であるのでここでは取り上げられないのでご容赦願いたい。
以下、著者自選の三百句を時期別に三期に分けて佳句をトレッキングしよう。純粋な写生句は少ないが、豊かな感性と実感が生んだ抒情句、ペーソスやユーモアを秘めた句が魅力。
そうして22句もの作品を選び出し、そのすべてに約50字の解説を付してくださっています。選ばれた句の好みといい、ご自身の過去の吟行体験を踏まえた上できちんと調べて執筆しておられるらしいその方針といい、厚かましい言い方で申し訳ないのですが、ことごとく納得しました。
わたしも総合誌や結社誌に短い書評や句評を書かせてもらった経験はあります。でも、これほど丁寧な句鑑賞を施された書評は、滅多に見かけません。
一部を引用します。
 犬逝きて小舎に寝てゐる春日影
擬人表現の季語が妙。死んだ愛犬の替りに、小舎には暖かな春の光が宿る。“犬死して春日影となった”ようで哀惜の念。
 大声で吾子の名を呼ぶ宮相撲
秋天下の神社での子供相撲だ。土俵に上がる息子を声援する父親だが、上五は衒いのない自然体。実に爽やかで痛快だ。
 夏霧や木道ほのと弥陀ヶ原
前書に「出羽三山詣」とあり、下五は月山だろう。海抜二千m弱の山頂東斜面にある原は夏霧に覆われ、木道が仄見える。
 木屋町の葉柳酔うて居るやうな
先斗町通りと並行して高瀬川沿いに連なる木屋町も遊興街。折からの川風を受け、葉柳が酔っているかにあやしく揺れる。
ほかの句。
 赤子吸ふをんなの乳房夏座敷
 みどり児の静かな欠伸風薫る
 嵐来と知らで濡れをり秋桜
 秋祭帰る舞妓のすまし顔
 ありがたうの震災誌よむ冬の夜
 退職の花束かろき朧かな
 年の豆こぼして鬼と拾ひけり
 古本の愉しみ紙魚に食はれけり
 梳る影うつくしき春障子
 戦争は平和の後ろ根切虫
 岩つつじ保津峡渡る風の筋
 猪口持つて席つめてゆくおでん酒
 雲海にぺろり舌出す富士ヶ嶺
 南禅寺界隈水へ散る紅葉
 涼しさに壇上伽藍明け初むる
 閉め出され月下に扉たたく猫
 冬に入る内ポケットの伏見酒
 面白うてかなしき嘘を三鬼の忌
平田青雲氏および「ひいらぎ」編集部の皆様に、あつく御礼を申し上げます。
あ、そうですね。悪筆ですが、せめて葉書くらい出さなくては・・・。
   〇
近くで田植えが始まりました。
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植田の畦に、なにか忘れ物が並べられているとおもい近寄ってみたら、野生の鴨。

# by tsukinami_819 | 2019-06-01 06:43 | 著書・寄稿 | Trackback | Comments(0)


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