六四三の俳諧覚書



日本的感性のことば(3)かぜ

「かぜ」
よく句会でお世話になっている先輩俳人に<風の○○(お名前)>を自称する方がおられます。彼の秀吟にはたいてい「風」の語が入っており、本人に言わせれば、苦しいときの「風」頼みなのだそうです。
風とは、いうまでもなく大気の流れのことであって、すでに万葉歌にたくさん用例がありました。でも、詩歌における「風」は、それほど単純なことばではありません。ただの風景描写に過ぎなかった一句に<××の風>を詠み込んだとたん、にわかに季節感から人生観まで匂わせて、深みのある情趣を帯びはじめます。
「風のいろ」という変わった用法があります。この場合、カラー(色彩)に重きがあるわけではなく、草木の葉や海川の水を吹き動かす風の動きと、その趣をいうようです。あえて色彩にこだわると、風そのものというより、風によって動かされる草木の緑や紅葉の色、さらには、かなしい心のありようまでカバーしています。視覚「風の色」は聴覚「風の音」まで感じさせてくれます。「風わたる」といえば、風景が広がりをもち、ときに人の心の揺れまで表現できるかもしれません。
それから、秋の季題で「色なき風」という面白い季語があります。中国の五行思想で白色を秋に配し、その秋風を素風(そふう)を呼んだらしく、それが日本の和歌に入って、華やかさのない寂しい、もの哀しい情景と結びつきました。
~参考:佐々木健一著『日本的感性』中公新書ほか~

[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-05-21 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

日本的感性のことば(2)にほふ

「にほふ」
現代人の多くは、動詞「匂う」名詞「匂い」ということばを、たいてい、香りや臭気の意味でのみ使っています。実をいえば、これは原義からは大きくずれています。
「にほふ」という語の構成は、丹+秀(穂)ふ。「丹」は赤い土のことですから、本来「にほふ」は、赤い色が光り輝いているさまをあらわしていました。和歌でも、紅葉が陽光に映えている様子を「にほふ」とうたいました。なので、「いろ(色)」といえば、匂うばかりの赤色のことでした。
「にほふ」が臭覚へとずれていったのは、万葉時代の終わり頃からとされています。これにあわせて、中古の韻文における「いろ」にも、赤以外の色、たとえば黄色や緑色、紫色が加わるようになりました。
現代の辞書で「匂う」の項をひらくと、赤い色が美しく映えるや、よい香りが立つ、わるい臭気がただようのほかに、薄くぼかしてある、よい雰囲気・気配がある、恩恵が及ぶといった多様な語意が示されています。ずいぶん拡がっていますね。
「にほふ」「にほひ」は、詩歌用語として幅ひろく使える、感性のことばなのです。
~参考:佐々木健一著『日本的感性』中公新書ほか~

[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-05-19 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

日本的感性のことば(1)かげ

「かげ」
この言葉を漢字で書くとき、ふつう「陰」「影」のどちらかを使用します。
「陰」の語義は、遮蔽物の向こうにあって見えない部分です。物陰、山陰といった用い方をします。山陰は、ほんらい、山の向こう側、山の裏側のことですが、日陰を含んだ意味合いで使われることが多くなっています。日陰は日向(ひなた)の反対語ですね。
常用漢字「陰」と常用外漢字「蔭」のちがいについては、現代国語で厳密に使い分けられていません。しかし、すくなくとも詩歌における草蔭や木蔭の場合には、「陰」でなく「蔭」を用いたいものです。他に、表にあらわれない援助や庇護を意味することばとして、御蔭様のごとき用法も知られています。
「影」はもっと複雑で、三つの語義をもっています。
第一は、物に光をあてることによって生じた黒い部分をいい、英語でいえばshadowです。山影、影法師のように用います。第二は、光そのものです。詩歌でよく用いられる月影が、この用法にあたり、月の光を意味します。日影という言葉を使うことはほとんどありませんが、月影と同じように、日の光を意味するため、日陰と区別しなければなりません。つまり、同じ「影」であっても、第一のshadowと第二のlightとでは、作用反作用で逆の意味になります。「影」の第三の語義は、物理的な形状というよりも心理的な影響を受けた姿、像です。面影(おもかげ)がこの用法にあたります。面影の構成は、面(かお、おもざし)+影(イメージ)で、仏語でいえば、イマージュです。
付記しておくと、「かげ」と読む他の漢字に「翳」があります。これも常用外漢字で、光のとどかない陰の部分をいいます。容貌の「翳り」などと用いるため、多分に影のニュアンスを含んで、心理的にマイナス、負のイメージのつよい「かげ」といえそうです。
~参考:佐々木健一著『日本的感性』中公新書ほか~


[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-05-17 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

神戸三宮いぶき句会にて

日曜日、雨の三宮へ出て「いぶき」神戸句会に参加してきました。
この日の出席者は、共同代表(今井豊、中岡毅雄両氏)をふくめて22名。さらに欠席投句が、たしか6名。句会としてはまずまずの人数でした。参加料500円(大学生以下300円)。
「藍生」系で超結社をうたう「いぶき俳句会165.pngは、今夏に創刊号の出る新しいグループですが、句会はすでに3回か4回開かれており、今後も月1回ペースで開かれるそうです。京都や大阪でも季節ごとに(たぶん)。
若い人も、何名か出席しておられました。いかにも俊秀といった感じの20代らしき青年たちや、県外から参加の方も。
面識のあった方は1名だけで、こういう、まったくメンバーの違う句会に参加すると、選句基準が自分とはかなり違うように感じられて、面白いものですね。
高得点句を、なぜ自分はとったか? 選者は、なぜとられなかったのか? あるいは、どこを推敲すればよくなるか?・・・そんなコメントをしゃべるのも、聞くのも、あまり慣れていなくて、新鮮な体験でした。
わたしはまだまだ訓練不足です。こういう句会なら、できるだけ出席してみたいですね。
次の青楓の句、選者の添削が入っています。なるほど。
 経行(きんひん)の列に加はる揚羽蝶 六四三
 病児らとマリアたたへり聖五月
 青楓裕明の句を写しをへ

[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-05-14 06:43 | | Trackback | Comments(2)

姫路句会へのお誘い

歳時記上は夏をむかえました。
 土つけてゐる苗売のぼんのくぼ 六四三
 麦秋やとんがり屋根の民家カフェ
また、「姫路句会」の案内をいたしましょう。
句会場はJR姫路駅から南へ徒歩1分。初心者歓迎。一応、俳句結社「円虹」系の句会ということになりますが、所属は気にしていただかなくて構いません。おおかたの作品は、いわゆる伝統俳句ですが、それもあまり気になさらないでください。
句会に興味をお持ちの方、ご連絡ください。
下のチラシ訂正~8月句会は避暑のため、中止とします。
b0090852_22263994.png
[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-05-11 06:43 | | Trackback | Comments(0)

写生と既視感

 大正六年頃、「ホトトギス」主宰、高濱虚子が客観の写生を唱えはじめました。
 わたしは、これを〈眼の前のものを、あるがままに写しとること〉だと理解していました。〈それが俳句というものだ〉とも思っていました。おそらく、未だそう信じておられる方が、少なからずおられるとおもいます。しかし、その理解はまちがっていたと、いまでは考えています。
 写生とは〈眼の前のものを、あるがままに写しとること〉ではなく、〈眼の前のものを、あるがままに写しとったかのごとく、描きだすこと〉と、とらえています。さらには〈そのような創作によって、読者の既視感に訴えかけること〉です。そうでなければ、作者と読者とのあいだで、心情、感慨を共有することができません。ただし、ここでいう既視感は通俗のものでなく、読み手の胸の奥底にかくれていた既視感です。
 拙著『私の俳句入門』から、ある作品とその鑑賞文を転載します。

 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ
 昭和二十一年春。おや初蝶ですよ、何色ですか、はい黄色ですね。三つの問答からなる珍しい構造の句です。晩年の虚子が「存問」と称した、日常の挨拶でしょう。

 この句釈自体にオリジナリティはありません。ごくありふれた鑑賞文です。
 なぜ、この虚子の句から、写生俳句の定義をおもいだしたかといえば、図書館で借りてきた『田中裕明全句集』の作品をパソコン入力しているなかで、こんな句に出会ったからです。
 借問す虚子は初蝶見たりしや
 借問とは〈それじゃ、聞いてみるけどね〉と、たたみかけるように質問することです。理屈の勝った句には違いないものの、なかなか粋な句でしょう。
 以上で、本筋の話はおしまいです。
 ちなみに、〈借問す〉の句が、裕明の代表句ということではありません。彼は平成十六年の暮れ、四十五歳の若さで亡くなっています。定型の調べのなかで、ひらかなの効果と切字そして取合せの技法を駆使し、季感情趣を尊重した、現代写生俳句の名手でした。
 大学も葵祭のきのふけふ
 雪舟は多くのこらず秋螢
 たはぶれに美僧をつれて雪解野は
 それぞれの部屋に人ゐて夜の秋
 一生の手紙の嵩や秋つばめ
 裕明は最後の句集の原稿を病院でまとめ、「あとがき」に〈さあ、長い長い厄年はこれで終わりにして、気持ちを入れかえて、俳句と人生に取り組みたいと思います。〉と書いて、まもなく天に召されました。
b0090852_22284039.jpg

[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-05-08 06:43 | | Trackback | Comments(0)

総合俳誌拾読「俳句界」2018年5月号

特集は「現代評論の問題点」です。
まえに、山本健吉評論賞の選考委員をされていた大輪靖宏さんと坂口昌弘さんのおふたりに加えて、角谷昌子さんが参加された鼎談の記録です。文芸評論、それも俳句評論について語り合うのって、正直、むつかしいと思います。どうしたって、まさしく雲をつかむような議論になりますよね。あまり難しすぎる芸術用語を駆使されても、読むほうが困ってしまいます。
個人的には、坂口さんの発言〈評論も創作でしょう。評論という名の良い詩的文章を書きたい。〉に、同感です。わたしの場合は、たとえばこのBLOGのような媒体を通じて、初級者として一緒に学ぼうよ、遊ぼうよというスタンスですね。
それから、川名大さんの「2017評論展望」が、気になりました。
十数編の評論について、評価を下しておられるのですが、相変わらず舌鋒するどく容赦なし。読んでもいないので当否はわかりませんが、わたしが標的だったら、たぶん2、3ヶ月は立ち直れないと思います。でも、読んで、面白い評価には違いありません。
もう一つ、「セレクション結社」のページに、7月に季刊で創刊される「いぶき」が登場しています。
結社「藍生」に所属しておられる、今井豊さんと中岡毅雄さんの共同代表の形で、運営されるようです。ご両人とも、たしか兵庫県在住ではなかったかと思います。超結社を謳って、とくに高校生と大学生に参加を呼び掛けておられるのは、将来へ向けた行動なんでしょう。月1回程度、句会を開かれるようなので、わたしも神戸へ出てみたいのですが。
[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-05-05 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(2)

総合俳誌拾読「俳句」2018年5月号

特集は「追悼 金子兜太」です。昨年12月のご本人へのインタビュー、14名の方による追悼エッセイ、安西篤さんらによる追悼座談会、さらに、句集『日常』以後の最晩年の100句が、主な構成です。特にエッセイには多様な考え方、感じ方があらわれており、面白く読ませていただきました。
また、完全保存版として『金子兜太読本』と題した、別冊が付けられています。第1部は、各句集から選ばれた100句ずつ。第2部には、兜太さんの俳論や往復書簡が(多くは抄録の形で)収められていて、さらに、兜太入門として役立ちそうな兜太論を、数人の俳人が執筆しておられます。本誌の特集と別冊付録と合わせて、今後の兜太俳句研究の基礎資料となりそうです。
俳論を読んでみて、いくつか発見がありました。兜太さんの唱えられた「創る自分」を介した『造型』の概念は、独自性のつよい、たいへん有名な俳論ですが、その『俳句の造型について』を発表されたのは昭和32年で、そのあと、同36年に『造型俳句六章』をまとめておられます。後者では、意外や、ほとんど『造型』という言葉を使っておられません。「構成」や「主体」という言葉で語っておられます。のちには『造型』の代わりに『表現』の語を柱にして、持論を展開されたようです。
それから、ごく個人的な感慨ですが、わたしは高校2年の夏、「俳句」誌上で兜太さんの『一茶覚え』を読んでいました。日銀を定年される前の年、昭和48年のことで、この頃、兜太さんは一茶研究を通じて、ご自分の俳句を確立させるべく模索しておられたようです。
最晩年の句から、拾い出します。
 朝日迎えて僧とその妻むかご炊く 兜太
 小学六年尿瓶とわれを見くらぶる
 裸身の妻の局部まで画き戦死せり
 水田地帯に漁船散乱の夏だ
 被曝の人や牛や夏野をただ歩く
 わが師楸邨わが詩萬緑の草田男
 秩父困民党ありき麦踏みの人ありき
 日野原大老いま頃ロンドンで酔うや

[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-05-02 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

真珠庵の坐禅

京都で一泊してきました。
大山崎山荘。いまはアサヒビールの運営する美術館です。
b0090852_15274236.jpg
同山荘の庭に、足長うさぎクン。
b0090852_15444929.jpg
石清水八幡宮。三大八幡宮の一社で、最近、お社が国宝指定されたそうです。
b0090852_15290433.jpg
翌日の朝、大徳寺塔頭、真珠庵で坐禅体験。経行(きんひん)で廊下をぞろぞろと歩いていると、住職が飼っておられるニワトリ君が、なんどもコケコッコーといい鳴き声を聞かせてくれました。坐禅後、特別公開の古い襖絵も見せていただきました。今秋、現代アート風の襖絵が公開される予定で、鋭意制作中だそうです。
b0090852_15292608.jpg
昼食は大徳寺前の徳寿うどん。湯葉と、表面に大の文字のある豆腐が、特徴的です。
b0090852_15294359.jpg
句は、いつものようにこれから、無い知恵を絞ります。
[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-04-29 06:43 | | Trackback | Comments(0)

髙木理子句集『はないちもんめ』

 作者の髙木理子さんは「玉梓」同人です。傘寿を迎えられ、区切りの意味もあって、第1句集を上梓されたようです。
 つばめ来と京の七口開けてあり
 京の七口とは、京へ通じる街道の出入り口の総称で、確かな定義がなく、丹波口、鳥羽口(東寺口)、竹田口、伏見口(五条口)、粟田口(三条口)、荒神口、大原口、鞍馬口、長坂口などをさします。本格的な春を知らせる燕よ、どこからでもいいから、早くやってきておくれ。京の人々の春を待つこころが、巧みに表現されています。
 菜箸の先焦げてゐる昭和の日
 四月二十九日は昭和の天皇誕生日で、落ち着かない季題季語ですが、昭和から「焦」をイメージされたようです。敗戦で日本は「焦」土と化し、戦後の経済復興のため日本人は「焦」って生きいそいだ気がします。そんな歴史が菜箸の先の「焦」げに重ね合わされています。菜箸は暮らしの象徴です。
 歩かねば冷凍人間雪霏々と
 霏々(ひひ)は古いことばで、雪や雨の降りしきるさまをいいます。もしかしたら手術後で、ひきこもりがちなご自分を励ましておられるのかもしれません。京の冬の寒さは厳しく、病いの身にはこらえがたいものでしょう。「冷凍人間」という小説的な言葉遣いが、気持ちを前向きに、日常を楽しいものへと変えてくれました。
 本の装丁は、新書サイズと小振りながら、京都らしく手鞠をあしらった表紙カバーが美しく、手触りもよくて、申し分のない仕上がりです。名村早智子主宰が序文で、たくさんの句を丁寧に解説されています。編集部におけるエピソードなども紹介され、前向きで誠実な方らしい作者の人となりが伝わってきました。
 その他の佳句をあげておきます。
 象出して象舎を洗ふ春の昼
 古女房浴衣の帯を低く締め
 夕焼やはないちもんめの影ゆれて
 夕薄暑濡れ手でもらふ宅急便
 軽くしぼる浅漬茄子の紺しづく
 黒揚羽母の忌日で手術日で
 新涼や老斑の手の置きどころ
 鈴虫を鳴かせ真昼の郵便局
 いつの間に娘がそばに星月夜
 菊膾父に背きし日の遥か
 山の端のすとんと暮れて茸汁
 百畳の冷気集まる膝頭
 棒立ちの水位標なり川涸れて

[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-04-27 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

上十三

「俳句αアルファ」の春号を眺めていたら、音大で教えておられるらしい津髙里永子さんが、こんなリズム論を書いておられました。
〈 凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり 高浜虚子
 計二十五音のうち、上五が「去来程の」までの十三音という句ですが、掲句の凄さは「およそ(三音)・てんかに(四音)・きょらいほどの(六音)」と、上五と見なされる部分が五音で切れていないところです。読者には上五は五音であるという凝り固まった認識があるので、どこまでが上五なんだろうと思わせながらも、この長さを一気に読ませてしまうからです。〉
なるほど。で、津髙さんの論旨は〈リズムを生み出すためには一句の出だしが大事です。〉という結びに向かうわけですが、わたしは、ちょっと違う感想を抱きました。
虚子さんって、ほんとは伝統破壊主義者だったのかも知れません。あるいは、破壊願望があったのかも・・・。自由律も、実は、やりたかった人かもしれませんね。なのに、歴史と、門人たちが、勘違いしたのかなあ?
[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-04-24 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

花水木の候

先日また、伊丹市にある柿衞(かきもり)文庫へ行き、2階資料室(書庫)で俳誌「草苑」を閲覧させていただきました。
先月伺ったときには、どちらかというと散文の中から、一人の俳人に関する情報を探したのですが、今回は俳句を調べました。
多くの人に納得してもらえるよう、秀句と凡句の線引きをするのって、意外とむつかしいものです。明確な仕分けの基準が、どこかに存在するわけじゃありませんから。
b0090852_10371872.jpg
上の写真は、柿衞(かきもり)文庫と関係ありません。
高木はハナミズキで、いまが盛り。わたしの大好きな花木です。手前の低木のピンクの花はハナズオウだそうで、尋ねる人が多いのでしょうか、花名の札が付けてありました。一番手前の黄色の花は、さあて、八重のヤマブキでしょうか?
俳句をやっていながら、植物も動物もあまり知らなくて、ほんと困ります。
[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-04-21 06:43 | | Trackback | Comments(0)

ああ50年

先日、県内他市の図書館へ出かけて、某俳誌の約50年分を書庫から出していただき、ある俳人について調べました。
空腹は感じなかったものの、3時間ほど経った頃から、だんだん首が痛くなり、5時間近くページを繰っていると、全ての句がつまらなく思えてきました。
 一誌半世紀分よむ春の昼 六四三
昭和24年の創刊号は、わら半紙にガリ版刷り。それから活字の印刷になり、徐々に紙質がよくなり、レイアウトが整えられ、しまいには豪華なフルカラーの表紙へと変貌を遂げたので、なんだか贅沢だなあ、もったいないなあという気になってしまいました。分量でいうと、毎号、投句欄よりも散文(俳論や挨拶文)のページのほうが多くて、それでいて同人・会員あわせて数十人だけの小規模の結社でしたから、経営にはさぞ苦労されたことでしょう。
骨のある結社だったんですね。ただ、かんじんの調べものの収穫は、少ししかありませんでした。

[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-04-17 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

ボートレース

一昨日は姫路の句会でした。すっかり熱が冷めているのに、月例ですから放っておいても句会の日はやって来ます。
兼題は「辛夷」と「ボートレース」でした。辛夷は「円虹」前主宰の山田弘子さんが、ことに好まれた句材でした。問題はボートレースのほう。皆さんが苦しまれるだろうと思い、あえて選んでおきました。
なぜ、ボートレースが、春の季題・季語なのでしょうか? ボートだと夏なのに。
明治時代、西洋化によって学校制度が整備されるなか、団体スポーツとして漕艇競技が導入され、東京の隅田川や滋賀の瀬田川で、大学対抗(あるいは学内対抗)の試合が幾つも組まれたそうです。そのうち早慶レガッタは特に人気が高く、110年以上の歴史を誇るとか。早稲田の漕艇部は、野球、テニスに続く3番目に古い運動部だそうです。早慶対抗レガッタが春に行われているため、夏ではなく、春の季として定着してしまったようですね。ちなみに、レガッタとは複数人の漕ぐボート競技の祭典のことで、イギリスのテムズ川で開催される大会は伝統があって有名です。
 競漕や風土記の川の千尋なる 六四三
この風土記は播磨風土記のこと。俳友が「千尋(ちひろ)は歴史的時間の長さをも意味している」と鑑賞してくれました。ボート競技って、意外と、あちこちの川やダム湖などで開催されています。
なお、次の句は句会で零点でした。
 花辛夷王妃のティアラ斯くあらん 六四三
[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-04-13 06:43 | | Trackback | Comments(0)

編集長

文學の森「俳句界」の編集長が交代されるそうです。現職の林誠司さんのブログによれば、今月20日頃の日付けで正式退職されるみたいですね。
林さんとは、評論の奨励賞をいただいたときお会いし、そのあと俳文集の出版や短い文章の執筆などで、数回、電話、メールでやりとりをさせていただきました。いわゆる業務連絡です。常に全国を飛び回っておられ、お忙しくされていて、優秀な編集長さんのようでした。
今後は俳句系出版社を立ち上げられるとか。句会活動も活発化されるそうです。ご健闘をお祈りします。
[PR]
# by tsukinami_819 | 2018-04-12 12:44 | その他 | Trackback | Comments(0)


遊戯三昧 俳句ひねって 遊びましょう
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カテゴリ
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
外部リンク
フォロー中のブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
以前の記事
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2013年 12月
2013年 06月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 08月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
検索