六四三の俳諧覚書



秋の野に出てみれば

写真のみ。
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烏瓜。張ってあるのは野菜ネットではなく、山裾の猪垣(防獣の金網)。
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洋種山牛蒡、別名アメリカヤマゴボウ。高速道の土盛りの下。
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河原の背高泡立草。だれですか?こんな外来種を季語にしちゃった人は。
 泡立草わが怠け癖質されて 六四三
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# by tsukinami_819 | 2018-10-23 06:43 | | Trackback | Comments(0)

丹波焼陶器まつり2018

10年前に出た、黒田杏子さんのエッセイ集『俳句の玉手箱』を読みました。杏子(ももこ)さんは「藍生」主宰。独自のもんぺルックで知られた方ですね。定年まで博報堂に勤められ、雑誌「広告」の編集などを担当されています。たくさんの著名な文化人と交流があったようです。凡人にはちょっと真似のできない環境でしょうね。交遊の広さは、人としての財産です。
 秋声を聴く辺地(へじ)をゆき辺地をきて 黒田杏子
秋の行楽日和。
今日と明日、丹波(たんば)立杭(たちくい)焼の里で、陶器まつりが開催されています。兵庫周辺でいうと、岡山の備前焼や、京都東山の清水焼の郷でも、同じ日に陶器市だったはず。
朝10時、丹波立杭焼の今田地区に車で入りました。ここ立杭では、60ほどの窯元が集中している、のどかな村の中をぞろぞろと散策するのが、最大の楽しみです。ところが・・・。
15箇所あるらしい指定の臨時駐車場が、すでにほぼ「満車」状態でした。もう1時間早く来ないといけなかったようです。周辺道路を2回ぐるぐる回って、結局、駐車を断念しました。民営の有料駐車場が1つずつ空いていたので、ケチらずに、どちらかに停めればよかったかなあ。句を詠み損ないました。
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帰りの沿道で、篠山名産の黒大豆の枝豆を買いました。1キロ余りで900円。10年ほど前なら、この分量で500~600円だった気がします。

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# by tsukinami_819 | 2018-10-20 15:46 | | Trackback | Comments(0)

発想と表現

毎朝、紅茶はリプトンの三角錐の形をしたティーバッグを愛用しています。このバッグ1個で、カップ2杯分の紅茶をとることができます。家人不在で、わたしひとり家に籠っている日には、1個をカップ4杯目まで使いつづけます。吝嗇、ケチといわれたら、たしかにそう。胃腸が弱くて日になんどもお茶を飲むものですから、重宝しています。でも、さすがに5杯目となると、いけません。うすく色のついた、ただのお湯。
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さて、俳句づくりの話。
俳句の実作に必要なものは発想と表現ではないか、と考えています。
長文をあやつる小説なんかだと、発想(アイデア)よりも、構想(プロット)のほうが大事でしょう。構想を練る過程で、当初発想したテーマが吹きとんでしまうことだってあるでしょう。でも俳句の場合は、発想が勝負です。スタートダッシュをまちがえたら、置いてきぼりを食らってしまいます。なにを感じたのか、おもったのか。なにを描きたいのか。
たとえば「秋の風」というお題をもらったら、なにを発想しますか。ただなんとなく、公園の草花が風にゆれている景色を思い浮かべただけでは、俳句になりません。「秋の風」から死者のことを思い出したり、上司から叱られた失敗を恨んだり、若い頃のデートを懐かしんだりして、それから、言葉をさがしはじめましょう。ときには、それが〈公園の草花が風にゆれている景色〉とマッチすることだってあるでしょう。
実作の第2段階は、表現です。第1段階で発想した心情、感覚をどうやって言葉にすればよいか。どんな物を、どんな言いまわしであらわせば、うまく「秋の風」を表現できるでしょうか。
つよい名詞をえて、ひとまず17文字をととのえたら、語順を入れかえたり、助詞を置き換えたり、動詞の代わりに形容詞を使ってみたりしながら、実感を表現しなければなりません。詩句は磨かなければ、原石(発想)のままで終わってしまいます。先にあげた例でいうと、死者や叱責のようなナマの言葉を用いるかどうかの判断はケース・バイ・ケースですが、たいていの場合、表に出さないほうが成功するでしょう。
過去の著名な俳人の句業をふり返るとき、よく「処女句集の出来がもっともよい」あるいは「第1句集にこそ俳人の特質が現れている」と評されることがあります。これはつまり、実作第1段階における発想が、若年のときほど優れていたことを意味します。年齢をかさねると、発想力は低下します。
一方、実作第2段階に必要な表現は、年齢を重ねるほどに磨かれてきます。うまいなあ、とつぶやきたくなるような句を詠めるようになります。ベテランの俳句は、発想は陳腐でも、なめらかな表現になるようです。いわば5杯目の紅茶。むろん、あくまで一般的傾向ですが。
清新な発想と磨かれた表現・・・俳句実作上、大切な車の両輪です。

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# by tsukinami_819 | 2018-10-17 06:43 | | Trackback | Comments(2)

ビッグイシュー買ひ

先日「いぶき」の句会で神戸へ出たついでに、JR三ノ宮駅近くで「ビッグイシュー」を買ってきました。
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「ビッグイシュー」は、〈ホームレスの仕事をつくり自立を支援する〉ことを事業目的として発行されている、30頁ほどのごく薄い雑誌です。
もともとイギリスで始まって、世界に拡散した出版関連事業だそうです。創刊15周年の日本版は、日本で独自に編集されています。記事内容は、ホームレスなど社会的弱者や貧困生活者の話題に限定せず、書店で売られている雑誌とほとんど変わりません。むしろ社会の事象に隅々まで目が行き届いているような気さえします。
 ビッグイシュー買ひ寒風の歩道橋 六四三
3年ほど前の句です。舞台は、阪急西宮北口駅の近くの連絡橋の上。この頃、俳句教室に通っていて、毎月買っていました。
販売者は当のホームレスの人で、路上の定められた場所に立っておられます。むろんホームレスといっても、生活環境はいろいろだろうとおもいます。だから、彼らから雑誌を買う行為を、偽善と考える人がおられるかもしれません。
でも、1冊あたり180円は、確実に彼の収入となります。10冊売れたら、彼は1800円の現金を得て、食料かなにか生活必需品を手に入れることができます。
全国各地(12都道府県)の指定販売場所(路上)は、インターネットで検索できます。月2回発行、1冊350円。通販による定期購読も利用可。

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# by tsukinami_819 | 2018-10-14 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

自動詞の詩、エコー写真

蛇笏・龍太の「雲母」におられ「秋」を主宰された石原八束さんが、25年前の「内観俳句の三つの条件」というエッセイ(『俳句と文藝』所収)のなかで、「俳句は人間内観のうただ」と語っておられます。内観というのは仏教用語とおもわれますが、ここでは追及しません。
同じ文章のおしまいに、こう書いておられました。
〈最後に「俳句は自動詞の詩(うた)であるということにも触れておきたい。
 俳句の主格はそれが一句の表に出ていない場合でもおおよそ「私」である。だから「花を咲かせる」「猫を鳴かせる」「雨を降らせる」といった他動詞俳句が横行するのを座視するのはつらい。一瞬の光景を捉えて、それに永遠性をもたせるのが俳句の表現だとすると、花は「咲く」雨は「降る」のであって、一瞬に花を「咲かせる」ことや、雨を「降らせ」たり出来るものではない。自動詞で表現してこそ、表に出ていない主格の「私」が生きて見えてくるのである。これが日本語の俳句の基本であるといっていい。この基本を守らなくては俳句は成立つまい。〉
こんなふうに、自動詞と他動詞の違いで、表にあらわれていない「私」を主格として意識させるのが〝俳句の基本″だなんて、考えたことがありませんでした。俳論にもいろいろとあるものですねえ。
ちなみに、似て非なる話ですが、動・植物を主格に使って擬人法を操るのは、初級者の好む手法です。わたしもよく用いて、陳腐に陥ります。
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昨日は「円虹」系の姫路句会でした。兼題は「新米」と「そぞろ寒」。類想・類句が目に見えるようですね。
 新米の零るる道を雲ながれ 六四三
 病めば亡き犬を思へりそぞろ寒
 新米やエコー写真の目鼻口
3句目の胎児の句は自信作でしたが、1点も入らず。取り合わせた季語「新米」が合わなかったのか、それとも、下の句の表現「目鼻口」が雑すぎたのか。それとも・・・。
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# by tsukinami_819 | 2018-10-11 06:43 | | Trackback | Comments(0)

「いぶき」神戸三宮10月句会

日曜の午後、神戸市立勤労会館で「いぶき」の神戸句会でした。出席17名、欠席投句5名。若い人がもっと参加してくれたら、面白くなるのになァ。共同代表お2人の講評は、勉強になります。ごくまれに、今井豊代表の御句に、中岡毅雄代表が「なぜ○○とされなかったんですか?」と突っ込まれることもあり、楽しいですよ。
わたしの句は、気持ちよく惨敗! 常日頃〈モノを詠まなきゃいけない〉〈五感を働かせよ〉と唱えていながら、へ理屈、観念偏重の駄句ばかり作っております。十年一日の如し、か。加えて〈句会では、マイナス指向、曖昧気分の句には点が入らない〉が鉄則なのに、つい、やってしまいます。
写真で、気分直し。
神戸元町の南京町。朝10時、豚まんで有名な「老祥記」前はすでに長蛇の列。
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三宮の東遊園地。旧外国人居留地の社交クラブ跡。
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95年震災のとき倒れたというマリーナ像。金時計見てゐる海の女かな、と。
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 傷負ひし女神像あり薄紅葉  六四三
 パープルの髪の乙女よ素十の忌
なお同じ日、北野坂あたりでは「神戸ジャズ・ストリート」というイベントで賑わっていたそうです。
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# by tsukinami_819 | 2018-10-08 06:43 | | Trackback | Comments(0)

総合俳誌拾読「俳句」2018年10月号

大特集は『実作に役立つ!俳句基礎用語集』です。真面目な企画ですね。ただ豪華な執筆陣だけに、用語集よりもっと自由なエッセイでも良かったのじゃないかなあ、と思ってしまいました。
小特集は『なぜ駄句なのか』です。「季語を正しく使う」「俳句はリズム」「感情を言葉にするな」「説明せずに、発見を生かして」「詩が駄句を救う」「[っぽい]から抜け出す」「大事なことは」の7本です。
このうち「季語を正しく使う」で名村早智子さんが、こんな例示をしておられます。
 ×敬老日→〇敬老の日
 ×花の冷→〇花冷
 ×捩り花→〇捩花、文字摺草
 ×ハンカチの花→〇ハンカチの木の花
固有名詞を勝手にいじくっちゃいかん、ということでしょうね。私もよく犯しそうなミスなので、ヒヤリとしました。
それから、『今日の俳人』のページで、渡辺和弘さんが、こんなミニ・エッセイを書いておられました。
<毎月多くの俳句の選や添削を行っているが、先日葉書に書かれた二句を添削していた時のことである。一読して、二句共に一字一句違わない著名な作家の盗作と分かった。本歌取りや類想類句ならまだしも、その真意をこそ知りたく、未だに謎のままである。>
そういえば、特集『俳句基礎用語集』のなかでも、松本てふこさんが、人気テレビ番組「プレバト!」で出演者の快作〈梅雨明や指名手配の顔に×(バツ)〉が、1年前の地方新聞に掲載されていた先行句〈梅雨寒や指名手配の顔に×〉と季語の1字しか違わなかったため、今夏、ネットで話題になった事件をとりあげておられました。このテレビ番組の事件のほうは(奇跡的な確率ながら)単なる偶然でしょうから、先行句に敬意を表して、時間的に後の句を取り下げる措置でよかったと思います。
わたしの経験でも、句会で自分の作と1字しか違わない句が同時に出ているのをみつけて、たいそうビックリしたことがあります。そんなときは「凡句だったのかしらん?」と、反省すればよいだけのこと。
一方、渡辺和弘さんのおっしゃる「盗作」ハガキ事件のほうは、「盗作」でなく「老化現象」ではないかと思われます。これもわたしの経験なのですが、何年か前の句会で披講のとき、わたしの句で、他の人が名乗りをあげるというドッチヤネン事件がありました。その人は2度3度手もとを確認し「いいえ、自分の句です」とおっしゃった挙句、「すみません、間違っていました」と、小声で謝罪されました。おそらく、選句のとき手帳に書き留めた他人の句と、自句とを識別できなかったのだろうと、推察します。
その後も、句会の世話をするうち、先月や先々月に点の入った他人の句と、ほとんど同じ句形のまま出句する人がおられることに、気づきました。どうやら本人に「悪気」(=盗用の自覚)が無いようなのです。とすれば、これは「盗作」でなく「老化現象」だろうと、思うしかありません。・・・いわば性善説。
有名な句と似た句を詠んでしまって、あとで気づいて慌てることって、誰でも1度や2度経験があるのではありませんか? 類想・類句って自戒を要するテーマでしょうね。
また、これとは別に、意識して、本歌(句)取りやら、気に入った言葉の借用をちょくちょく試みることがあって、良い稽古になります。
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小学校の門前の田んぼ。
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# by tsukinami_819 | 2018-10-06 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(2)

総合俳誌拾読「俳句界」2018年10月号

特集は「私の作句信条」です。こういう大きなテーマで、1ページだけに文章をまとめるのって至難の業(技)でしょうね。
虚子の薫陶を直接受けられた深見けん二さんは、やはり「客観写生」「花鳥諷詠」について語っておられます。興味をひかれたのは、井上弘美さんの信条です。「季語を重んじること」「切れや韻律を大切にすること」のあと、「寡黙であること」を挙げておられます。
寡黙? 言葉少なし?
寡黙の語で、岩波文庫の虚子著『俳句への道』に「寡黙の力」という短文があったことを思い出しました。結社誌「玉藻」昭和27年11月号に「雑感(二)」として発表された文章の一部分です。
〈俳句は最も簡単な詩型であるということがその特色の一つである。寡黙に近いということがその特色である。寡黙ということは、最も大きな人間の力の表現である。
 俳句は全く沈黙の文芸であるとはいえない。しかし、多く言わず少(すくな)く言う文芸である。少く言いて多くの意を運ぶ文芸である。叙写は尠(すくな)くって多くの感銘を人に与える文芸である。
(中略)
 一片の落花を描き、一本の団扇を描き、一茎の芒を描き、一塊の雪を描き、唯片々たる叙写のように見えていて、それは宇宙の現象を描いたことになる所に俳句の力はある。
 俳句は簡単な文芸であるが故に簡単なる叙写を必要とする。多くを語らずして多くの意を運ぶことを目的とする。(後略)〉

〈宇宙の現象を描〉こうとまで意識を高めるのは、大仰な気がします。それでも、いい信条ですね。わたしたちはもっと俳句の「寡黙の力」を信じるべきなのでしょう。言い換えると、俳句は十七音の象徴詩だということでしょうか。
虚子の俳文は実に多弁饒舌でした。『俳句への道』は愉しい読み物です。
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# by tsukinami_819 | 2018-10-03 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(3)

鴨来る

先週の写真。白い鷺が稔りの田んぼを見廻りしていました。近年、鷺の姿をよく見かけるようになりました。川の下流から年々上がってきているような気がします。
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3日ほど前には、川で泳いでいる鴨3羽に気づきました。近づくとすぐ逃げるのでピンボケ写真です。初鴨、鴨渡る、鴨来るは、秋の季語ですね。
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このあと、10月に入って北方からやって来るのは、雁や鶴でしょうか。実際に渡ってくる光景を見たことはありませんが。
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そういえば、小鳥、小鳥渡る、小鳥来るも秋の季語ですよ。この場合の小鳥は、尉鶲(ジョウビタキ)、連雀(レンジャク)、花鶏(アトリ)、鶸(ヒワ)、鶫(ツグミ)なんかだそうです。きれいな色をしているので、歳時記では色鳥とも呼びますね。どんな姿なのか、ちっとも映像が浮かばないけれど・・・。
そうして、もうすぐ南方へ燕たちが帰って行きます。

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# by tsukinami_819 | 2018-09-29 06:43 | | Trackback | Comments(2)

台湾みやげ

台湾の天気予報は大はずれで、ずっと好天気だったそうです。
台北市内と周辺は、公共交通が便利で(スイカ、イコカみたいなカードあり)、観光地へ行くタクシーもわりあい安かったとか。
お土産です。
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左が龍山寺のお守りで、右はパンフレット日本語版。
8~9月は体調不良で、初めてのおわら風の盆も、2度目のシドニーも、今回の台湾も、ことごとく断念しました。次から次へと、キャンセル料を消費するばかり。
 旅行かぬ九月の風のよそよそし 六四三
そういえば、京都の10月行事、鞍馬の火祭りが台風21号被害のため今年は中止になると、ニュースで言ってましたね。
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# by tsukinami_819 | 2018-09-26 06:43 | | Trackback | Comments(0)

Oh my God!

一昨年、誘われて台湾旅行に出かけたら、台風の直撃を受けました。あのときはホテルの外で暴風雨と格闘し、転倒し、死にそうな目に遭いました。
性懲りもなく、ふたたび台湾に挑戦です。こんども予報は雨。台風じゃないので、少しくらいは観光できるはず、たぶん。

と、書いて、アップするつもりでいたら・・・。
ようやく治りかけていた腰痛が、前日になって、またまた、ひどくなって。
関西空港が無事に(ほぼ)復旧して、台湾入国登録もイモトのWIFI(レンタル) の空港受け取りもインターネットで手続きを済ませ、持ち物もバッグに入れておいたのに。

・・・急きょ、お留守番、と相成りました。145.png
 あきらめて横坐りする秋の蠅 六四三
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# by tsukinami_819 | 2018-09-23 06:43 | | Trackback | Comments(2)

総合俳誌拾読「俳句αあるふぁ」2018年秋号

今年、毎日新聞出版の「あるふぁ」が季刊となって、第3号です。
角川「俳句」や文學の森「俳句界」など他の総合俳誌が《俳句の作り方を学ぶ》ことを編集方針としておられる様子なのに対し、季刊「あるふぁ」は《俳句の在り方を考える》ことを基本に据えようとされているように見えます。
今号の特集名は「平成の暮れに」です。平成が終わりに近づいたのを機に、いろんな俳人にいま気になっていることを語っていただこうという、そんな企画ですね。
小川軽舟さんが、俳句とIT・インターネット・AIとの関わりについて、関悦史さんは、震災のような自然災害・社会的事件に俳句がどうコミットするかについて、久留島元さんが、俳句甲子園のもたらす近未来への影響の有無について、島田牙城さんは、二十四節気と俳句との関わりについて、それぞれ語っておられます。
ちなみに、二十四節気とは、陰暦ではなく陽暦に基づいて、太陽と地球との位置関係から一年を分配する法です。たとえば、立春・立夏・立秋・立冬は、その前の季節が“峠”を越えた日のことで、前の季節の中にあって、これから次の季節に向かい始めるよ、というサインを意味します。そういう定義であるならば、俳句の場合も世間の季節感覚と同じように、続く1ヵ月間ほどを前の季節に含めておいて欲しい(歳時記の中で、そう分類して欲しい)と思うのは、わたくしだけでしょうか?
今号で興味深かったのは、宮坂静生さん、長谷川櫂さんと対馬康子さんによる鼎談と、黒田杏子さんと細谷喨生さんによる対談の2本です。
前者で、長谷川櫂さんが、現代俳句における大衆化が末期的症状であると問題提起され、宮坂静生さんは、災害時の大量死と俳句はどう関わるべきかと考えるところから出て実作へと話を移しておられます。後者の対談では、黒田杏子さんが高く評価してこられた金子兜太俳句と、細谷喨生さんの師である石川桂郎さんの俳句について紹介されています。
また特集とは別に、新シリーズ「季語を考える」の口火を切るべく、横澤放川さんが「季語ということ」を執筆しておられます。
ここで面白い発見がありました。6年ほど前、当ブログで「季題と季語」の違いを扱ったとき、「季語」の語を初めて用いたのは明治41年の大須賀乙字であるかのように説明しました。でも、それは誤りだったようです。横澤放川さんのご指摘によれば、河東碧梧桐の新傾向俳句から離れ、明治41年頃から俳句評論に力を入れ始めた乙字が、大正期に入ってから、「季題」を論じるさい、季の言葉として「季語」という新語を使いはじめたというのが、正しい理解みたい。やはり原典主義というのは大切ですね。・・・といいつつ、今回も2次資料からの引用にすぎませんが。
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写真は芙蓉の花。一日の間に色が変化する、酔芙蓉のようです。午後撮影。
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# by tsukinami_819 | 2018-09-20 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

認知症と俳句

中島京子著『長いお別れ』を読みました。本の帯に「映画化決定!」とあったので、書店でなんとなく手にした小説です。タイトルから想像できるかもしれませんが、認知症になった老人とその家族(妻と3人の娘と孫たち)の物語です。メルヘンの要素は、ほとんどありません。介護の厳しい現実がリアルに描かれています。
川本三郎氏が「認知症が社会問題になったのは有吉佐和子の『恍惚の人』がベストセラーになった一九七二年頃からだろう。」と解説に書いておられたので、そういえば、この『長いお別れ』は、現代版『恍惚の人』かもしれないと納得しました。
わたしの父が製鉄所の工員を定年退職するとき、何を思ったか、当時よく売れて社会現象にもなっていた話題の小説『恍惚の人』を買ってきました。読書習慣のない人だったので、たいそう驚いたことを覚えています。そうして、父が読了したと思われる頃、電話台の下に仕舞われていたその本を取り出して、認知症(当時は痴呆症といったかもしれません)の実情を知ったのでした。
あれから、母を施設に入れたし、親戚の高齢者たちの認知症の様子をたくさん見聞きしてきました。
さいきん、上五を「認知症」とする俳句を詠んでみました。その句が俳句としてきちんと成立しているのかどうか、よくわかりません。ただ現実生活を前にして、俳句って、なんと脆弱な文芸だろうかとおもいました。
小説『長いお別れ』の主人公は元中学校長で、中村草田男の俳句のファン、退職後は句会へ出かけている人物という、そんな設定でした。
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あっという間にあらわれた、彼岸花。
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# by tsukinami_819 | 2018-09-17 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)

季節はずれ

先日のテレビで、高校生たちの俳句甲子園を紹介する、ドキュメンタリー番組を観ました。
そのなかで、知識もリーダーシップも並外れた部長の男の子がいました。彼の舌戦はマシンガン・トーク。凄いですよ、自信過剰なくらいに。ああいう少年が、数年先には注目の若手俳人として、俳壇にあらわれるんでしょうね。
季節はずれの風邪をひきました。
夏風邪って言葉はあるけれど、秋風邪なんて聞きません。ノドの痛みが半端じゃありません。耳鼻咽喉科で薬を処方してもらったものの、薬効なし。ここ数日は咳が止まらず、夜もよく眠れません。まあ昼寝をとっていますが。
今週、姫路の句会を休みました。現体制になってから初めての欠席です。今月の兼題は「夜食」と「吾亦紅」でした。もう遅いのですが、ひねってみましょうか。
 所長室ひざを揃へてとる夜食 六四三
 吾亦紅すさぶる風の六地蔵
再考を要す、ですね。先に、風邪を治しましょう。
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写真の白い花はタマスダレ。草花の玉簾は、季語リスト外でしたっけ? あるいは、花が夏季か?
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# by tsukinami_819 | 2018-09-14 06:43 | | Trackback | Comments(0)

今井豊句集『草魂』

俳誌「いぶき」共同代表のお一人、今井豊さんが7年前(平成23年)の春に刊行された句集『草魂』から、20句あまり抄出します。
〈第1章 草莽:平成9~10年〉
 少年のあと少女踏むうす氷
 緑蔭に入りて眠らうかと思ふ
 新緑の山に納める父の骨

〈第2章 星霜:平成11~12年〉
 月あげて明石大門に娶りの灯
〈第3章 霹靂の木:平成13~14年〉
 この闇の青水無月の眉山かな
 百日紅指が覚えてゐる頁

〈第4章 海の虹橋:平成15~16年〉
 蛇穴を出てみる価値はあるだらう
 車椅子の青年語る涼しさよ
 苺酒に酔うて緑雨の薬学部
 やがて雪虚子と碧との青春に

〈第5章 さみどりの:平成17~18年〉
 みづからに生還を課す百千鳥
※この句に詞書あり「脳腫瘍の大手術は二十五時間にも及んだ。それに続く二年一ヶ月の闘病・休職。」
 泣くまいと仰ぎて櫻あふれけり
 寝返りの打てず雪解の山遠し
 あの世かと思ひしこの世昼寝覚
 遊女塚蝶の骸と気づきけり
 白南風や女ばかりの演劇部

〈第6章 寒明忌:平成19~20年〉
 不惑の春つまづく歩く立ちどまる
 床鳴りのひとつ卒業生起立
 紫苑咲く子を生むためのふくらはぎ

〈第7章 明日へ:平成21~23年〉
 一匹の蟻がてこずる蝶の翅
 巣箱見にゆく夏休み最初の日
平成17年の「みづからに」の句でわかるとおり、大病をされ、この時期から、句風に変化があらわれます。単純にいえば、名所旧跡を訪ねる吟行があまり出来なくなったことによるものでしょう。
闘病中から、身ほとりの自然に感応しつつ、平明な表現による、内省的な句が増えてきます。この句風は、おそらく、本来の明るさ、青春性に、病が陰影を加えたことによって生まれたものでしょう。最終章のタイトル「明日へ」は、再始動への決意表明でしょうね。
なお、「栞に代えて」として、上野一孝、髙田正子、森賀まり、中岡毅雄という4名の俳友が作品鑑賞および解説に相当する批評文を寄せておられます。

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# by tsukinami_819 | 2018-09-11 06:43 | 読書感想 | Trackback | Comments(0)


遊戯三昧 俳句ひねって 遊びましょう

by 国光六四三
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○随想「ペット俳句」~「俳句界」2017年8月号掲載
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