俳誌「琴座」昭和50年11・12月号(300号記念号)の巻頭に、『陸沈の掟』が掲載されています。主宰永田耕衣75歳の俳句信条というべきものでしょう。陸沈は『荘子』にある言葉らしく、世に隠れ棲む者、隠者のことと思われますが、耕衣さんは、これを俳人の意味で使っておられたようです。
「陸沈の掟」十ヶ条〈さしあたりの事〉 *定型楽守の事ー定型の自由を満喫する、これ楽守なりー。 *季語霊性的受用の事ー万象は人間自己の宇宙的象徴なり。季語に自己霊あるべしー。 *存在の根源を追尋すべき事ー存在の根源はエロチシズムの根源なり。精気あるべき故にー。 *野の精神に徹すべき事ーこれ量よりも質に遊ぶと同義なり。質に遊ぶは自由の本質ならんかー。 *人間出会いの一大事なる事ー出会いの絶景というは第一義上の事なりー。 *俳句は人間なる事ー俳句を作す者は俳人に非ず、マルマル人間なりー。 *一人二人の事ー「句は天下の人にかなふることはやすし。一人二人にかなふることかたし」とは蕉翁の箴言なり。この一人二人の内に作者の自己一人厳存せざるべからずー。 *卑俗性を尊重すべきことー喫茶喫飯、脱糞放尿、睡眠男女の類は人間生活必定の最低辺なり。絶対遁れ得ず。故に可笑しー。 *諧謔精神は俳句精神の柱なる事ー然あれども諧謔は目的に非ず。俳句の自然なるのみー。 *超時代性を持続すべき事ー俳句は不断に新を現成し、不断の新は超時代性を持続し得るなり。 *自他救済に出づべき事ー先ず俳句は面白がるべし。奇想戦慄また命を延ぶに価す。即ち生存の歓喜を溶解するの力価を湛うべし。 ちょっと、読み取りにくい言葉遣いですね。たとえば「季語の霊性的受用」といわれてもよくわかりませんが、『山林的人間』というエッセイ集に「季語が永遠に持続するはずの美徳(霊性)」とあるので、季題季語の持つ精神性とか歴史・文化性というほどの意味でしょうか。 耕衣さんの「琴座」以前の俳歴を見ると、戦前は原石鼎「鹿火屋」、戦中戦後にかけて石田波郷「鶴」、戦後の一時期は山口誓子「天狼」に所属しておられました。そして昭和30年代からは、かなり前衛的傾向を強めておられます。よって、『陸沈の掟』発表のころ、17音の定型にも季題季語にも、どちらかといえば、緩やかな対応をとっておられたのでしょう。また、結社の権威主義や中央俳壇の派閥争いに、かなり嫌悪感を抱いておられたようです。 ちなみに、7つ目にある「蕉翁の箴言」とは、服部土芳著『三冊子』の第3部「くろさうし(わすれみづ)」に見える、次の言葉を指しています。 師の曰(いはく)、句は天下の人にかなへる事はやすし。一人二人にかなゆる事かたし。人のためになす事に侍(はべ)らばなしよからんと、たはれの詞(ことば)なり。 これを、森田峠著『三冊子を読む』の口語訳で読むと、こうなります。 先生が言われるには、「句は、万人にわかってもらえるようにすることはたやすい。(眼識ある)一人二人にわかってもらえることがむつかしい。人の気に入るように(句を)作るのであったら、作りやすいであろう」と、(これは先生の)冗談である。 万人のあいだで人気をとる句だからといって秀句というわけじゃないよ、真に眼識ある人から評価される句を詠みなさいと、芭蕉さんはおっしゃっています。さらに、耕衣さんは、その眼識ある人に自分自身が入らねばならないよ、と説いておられるわけです。
by tsukinami_819
| 2017-10-21 06:00
| 論
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