句会のすすめ2(階層型社会+老人性オタク文化)

先月「句会のすすめ」と題して、思いつきの雑文をアップしました。
内容は<初学者ならばリアル句会(対面形式)に参加して、兼題で勉強してください>と、そんなことを述べたものでした。間違ったことは云っていないはずですが、最近、当ブログにいただいたコメントや、他の方のブログ記事や、総合誌の企画特集や、某結社誌の20周年記念アンケートなどを読んで思ったことがあるので、「句会のすすめ」の続きを書いてみます。

40歳くらいから下の年齢で、総合誌に句を発表したり、結社誌で頭角を現わしたりされている方は、おおかた「俳句甲子園」出身者かと思われます。また、そういう俳句エリート(と云う言葉があるのかどうかはともかく、20歳くらいから才能の輝きを見せておられる若い俳人たち)と交流のある人たちも含めて、彼らは、現代の俳句結社にあまり魅力を感じておられない様子です。何故か? それは、やはり結社に特有の「ヒエラルキー」の所為だろうと思われます。結社誌の雑詠欄をみれば、結社がピラミッド型の序列・階層制となっていることに、すぐ気づかされます。たとえば、いつも2句しか載せてもらえない人の作品が、ある月いきなり7句に増えて巻頭を飾ったりするなんてことは、決して起こりません。仮に、とつぜん巻頭にふさわしい秀作ばかり出句したとしても、選者(多くは主宰)はまず3句か4句しか採用されないはずです。結社誌は作品でなく会員によって構成されているからです。だから、そんなヒエラルキーの中から浮上するためには、膨大な時間が無駄になるんだろうなと想像できます。むろん例外的なケースもあるでしょうが、そんな例外的な人は次世代を担い得るごく一部のスターだけでしょう。
ならば、結社の句会ではなく、町内の公民館句会や、近くの都市で開講されている新聞社系カルチャー教室などの句会に参加してはどうか? でも、そうした句会や教室の開催は平日の昼間が多くて、参加者は定年退職者から九十歳代までの高齢者が中心です。しかも、彼らはずっと更新登録して会員資格を継続されているベテランの方々です。おまけに、そこで詠まれている俳句は、初鏡に映った自分の顔の皺だの、老老介護の果てに舅姑をあの世に送った安堵感だの、孫との双六遊びだの、およそ青春の抒情とかけ離れた、セピア色化した句材がほとんど。あるいは、鳰だの、蜷の道だの、古典趣味のパターン化された自然詠でしょう。おおかた「老人性オタク文化」の世界ですから、若い人が価値観を共有することは難しいかもしれません。
若者にとって<階層型社会+老人性オタク文化>はかなり厄介な壁です。よって、才能あふれる若き俳人たちは、結社もリアル句会も否定あるいは敬遠し、ネット句会を自ら主催して発表の場を確保しようと企図します。当然の帰結でしょうね。
この先、作句の現場はどうなるんでしょうか? 結社誌も総合誌も、未来は限りなく先細りしているような気がします。だからと云って、ネット句会だけで俳人が成長して行けるものかどうか? ええ。インターネット上で俳句ブログをやってる人間が、云うことではないかもしれませんが・・・。あとは、超結社の句会なんでしょうか。ちなみに、還暦を迎えた私は、どこかに若い人の多い句会はないかしらんと、いまだ夢を見ている愚か者です。

以上で雑文おしまい。なんだか、また、雑然とした文章になってしまいました。
 秋の夜に恥ぢ入りて聞く旧き恋 六四三
総合誌「俳句四季」2月号の雑詠欄で、佳作として拾っていただいた句です。前書をつけるなら<同窓会>ですね。
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上の写真は24年前のもの。
by tsukinami_819 | 2017-01-21 20:30 | その他 | Trackback | Comments(4)
Commented by mariko789 at 2017-01-22 15:48
こんにちは。興味深く読ませて頂きました(。◕‿◕。)
海外在住で、リアルの句会にも参加できず、雑誌も買えず、結社に参加もできず(こちらから海外へ送金する手数料が高くて、不可能)細々とネット句会だけに参加している私としては、日本の俳句会は想像を絶するもののようです。
六四三さんのこちらの投稿で、日本の俳人たちの様々を教えて頂き、感謝。
もしかして私は日本に住んでいたとしても、結社にも入らず、公民館の句会にも行かないかも、と思いました。
なんのために俳句をしているのか、もう九年目ですが、まだ判りません。
Commented by tsukinami_819 at 2017-01-22 17:33
〉mariko789さん
コメントありがとうございます。現代の若者は<主宰~同人~平会員>制度になじめないようです。古くからある一種の徒弟制度ですからね。まさに子規が否定した「月並」的な在り方ですが、それを復活させてしまったのは、弟子であったホトトギスの虚子さん。大正期以降その虚子のもとで、ほとんどの俳人が修業を始めたわけですから、まあ、しかたがありません。
ただし、ある程度の年齢に達すると「老人性オタク文化」にすっぽりはまってしまうのも事実です。かつて日本の津々浦々まで流行したゲートボールだとか、老人大学のお稽古ごと教室とおんなじ傾向でしょうね。
ネット句会も、やりようで、効果的かもしれません。やはり、他人とのつながりは、モチベーションを高めるでしょうし。良い俳句との関わり方だろうと思います。
Commented by 海音 at 2017-01-22 20:36 x
そうなんです<参加者は定年退職者から九十歳代までの高齢者ばかり(どこかで読んだような俳句をネタに、同年代の「お話会」になっているのです)

結社に入会して特定の指導者の句会に毎回参加して俳句を学んだという40代以下の方に、私は地方で今まで会ったことがありません。(私も結社に所属してはいますが、現実的には投句だけの会員で十数年。初学の頃に投句していた結社は、もう終刊しています)

 プレバトがどんなに流行っても、NHK俳句がどんなに初心者向けの企画をしても、40代以下は、時間やお金の問題で、おそらくネット句会やメール句会までのような気がするのです。(地方には40代以下向けの対面式の句会(不在出句可、出入り自由、超結社、ネット句会など勉強手段のかけ持ち可)が、ほとんどありませんからね)(だから、私が上記のような句会を自ら立ち上げて幹事をしています)

Commented by tsukinami_819 at 2017-01-22 21:21
〉海音さん
ありがとうございます。海音さんは地方におられて<不在出句可、出入り自由、超結社、ネット句会>なんですね。面白そうだなあ。mariko789さんも、海外におられてネット句会に参加されてるようです。一方、私はいくつかの結社のヒエラルキーの中で、高齢者に囲まれて(まあ私も老齢ですが)ずうっと平会員・・・か。
mariko789さんの「なんのために俳句をしているのか」の問いかけには、どう答えましょうか。「俳句は日記」と、どこかの結社で提唱されていました。でも、単なる日記だけじゃないような気がしています。この話、いずれまた、よく考えてみたいと思います。
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